海部首相は平成2(1990)年2月に行われた衆議院総選挙で勝利し、新たに第二次内閣を組織しましたが、同年8月に発生したイラクによるクウェート侵攻から翌平成3(1991)年1月に勃発(ぼっぱつ)した湾岸戦争(わんがんせんそう)においては、人的支援の不手際もあって、その対策に苦慮することになりました。
その後、自らが政策の目玉とした政治改革関連法案が審議未了で廃案となったのを受け、海部内閣は平成3年11月に総辞職し、新たに宮澤喜一(みやざわきいち)が首相となって内閣を組織しました。
宮澤内閣は、湾岸戦争の反省を受け、翌平成4(1992)年に国際平和協力法(PKO協力法)を成立させると、同年9月にはカンボジアへの自衛隊の派遣を実現させました。
しかし、天安門事件によって国際社会の非難を浴びていた中華人民共和国に対して、あたかも「我が国が中国に朝貢する」と受け取られかねない「天皇陛下の訪中」を、平成4年に実現させるという「国賊的」行為も、宮澤内閣は同時に行っていたのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
外交とは
ひたすら下でに出て、相手国の言いなりになる事だという
宮澤さん独自の座右の銘でも存在したのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 外交とは
> ひたすら下でに出て、相手国の言いなりになる事だ
それは外交とは言いません。
相手国の奴隷になることを意味しています。
国の総理が一体何をやっているのか…。
ぴーち 少し言葉足らずだったかもしれませんね。
勿論、外交とは言えませんが、
宮澤さんは外交という意味を履き違えて
実行していたのでしょうか。。という
意味合いで書かせて頂きましたm(__)m
それとも外国からの圧力に容易に屈しなければ
いけなかった弱みでもあったのでしょうかね?
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 宮澤さんは外交という意味を履き違えて
> 実行していたのでしょうか。。という
> 意味合いで書かせて頂きましたm(__)m
こちらこそ失礼しました。
確かに外交を履き違えている可能性もありますが、中国様の仰ることなら何でも聞く、と卑屈に見えるところもありますね。
> それとも外国からの圧力に容易に屈しなければ
> いけなかった弱みでもあったのでしょうかね?
これも可能性がありそうです。
チャイナへのODAの一部をキックバックしているとか、いわゆる「媚中派」と言われる人にはそんな噂が絶えませんからね。
外交とは
ひたすら下でに出て、相手国の言いなりになる事だという
宮澤さん独自の座右の銘でも存在したのでしょうか?
> ひたすら下でに出て、相手国の言いなりになる事だ
それは外交とは言いません。
相手国の奴隷になることを意味しています。
国の総理が一体何をやっているのか…。
勿論、外交とは言えませんが、
宮澤さんは外交という意味を履き違えて
実行していたのでしょうか。。という
意味合いで書かせて頂きましたm(__)m
それとも外国からの圧力に容易に屈しなければ
いけなかった弱みでもあったのでしょうかね?
> 実行していたのでしょうか。。という
> 意味合いで書かせて頂きましたm(__)m
こちらこそ失礼しました。
確かに外交を履き違えている可能性もありますが、中国様の仰ることなら何でも聞く、と卑屈に見えるところもありますね。
> それとも外国からの圧力に容易に屈しなければ
> いけなかった弱みでもあったのでしょうかね?
これも可能性がありそうです。
チャイナへのODAの一部をキックバックしているとか、いわゆる「媚中派」と言われる人にはそんな噂が絶えませんからね。