※第5回歴史講座の内容公開の間は、一日に二度(6時と18時)の更新を行いますので、是非ご覧になって下さい。
元就は謀略につく謀略によって、彼一代で大大名になりました。その過程では多くの敵から恨まれただけでなく、吉川家や小早川家を強引に乗っ取ったことによって、身内からも恨まれる結果となりました。だとすれば、今後毛利家が栄えていくためには「一族の団結」こそが重要であり、そのためにも「三矢の訓」という「神話」が必要だったのです。
元就は1571年に75歳で亡くなりましたが、家督を継いだ孫の毛利輝元(もうりてるもと)の凡庸(ぼんよう、すぐれた点もなく平凡なこと)な器量を心配し、次男の吉川元春や三男の小早川隆景らに輝元の補佐を依頼しました。
元就の死後は、織田信長の攻勢によって毛利家は領土の半分近くを失いましたが、それでも合計で120万石を超える広大な領地を輝元が所有できたのは、上記の叔父たちの尽力によるものでした。
豊臣秀吉による天下統一後は、輝元は隆景とともに秀吉の五大老(ごたいろう)として君臨し、毛利家は安泰(あんたい)でしたが、1597年に隆景が亡くなって頼りにしていた叔父たちがすべて死んでしまい、その翌年には秀吉も亡くなって再び天下が乱れる気配を見せると、元就の心配は現実のものとなってしまったのでした。
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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ぴーち 元就の生き方は、現代でも一代で名を残した
人物達の生きざまに十分当てはまりますね。
そうでしたか。。神話を作り上げることで
親族からの攻撃を避わすことを狙った訳ですか。
何だか、関係ないですが、故笹川良一さんを思い浮かべてしまいました^^;
裏では政界のドン・黒幕とまで呼ばれながら、競艇のCMでは「一日一善!」なんて、人の良さそうなオジサンぶりをアピールしてましたね~。
ととと・・・・関係ない話に展開しそうなので、この辺で^^
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
人間は、普段足りていることや満足していることを気にすることが少ない一方で、自分が持ってないものや足りないものへの欲求は根深いものがあります。
毛利元就も、自分に欠けているものだからこそ「教訓」を「神話化」して残したのでしょう。
笹川良一氏とは懐かしいですね。「フィクサー」の名にふさわしい彼の生き様は、善行を重なることで何を求めようとしていたのでしょうか。ただ、彼が残した財団は、我が国にとって益となっているようですね。
本当なら、天下も狙えたのに
- 黒田先生
青田です。
今の大河ドラマ黒田官兵衛
を観ていて、逆に毛利の優柔不断さには、
驚き、呆れました。
毛利は、優柔不断でなければ、何度も
織田信長を打ち破るチャンスはあったんですね。
その証拠に、播磨の多くの武将が、毛利をあてにしていました。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその可能性は否定できませんが、元就が「領土の拡大をするな」と生前に言っていたという事情もあったようですからね。
難しいものです。
人物達の生きざまに十分当てはまりますね。
そうでしたか。。神話を作り上げることで
親族からの攻撃を避わすことを狙った訳ですか。
何だか、関係ないですが、故笹川良一さんを思い浮かべてしまいました^^;
裏では政界のドン・黒幕とまで呼ばれながら、競艇のCMでは「一日一善!」なんて、人の良さそうなオジサンぶりをアピールしてましたね~。
ととと・・・・関係ない話に展開しそうなので、この辺で^^
それでは応援凸
人間は、普段足りていることや満足していることを気にすることが少ない一方で、自分が持ってないものや足りないものへの欲求は根深いものがあります。
毛利元就も、自分に欠けているものだからこそ「教訓」を「神話化」して残したのでしょう。
笹川良一氏とは懐かしいですね。「フィクサー」の名にふさわしい彼の生き様は、善行を重なることで何を求めようとしていたのでしょうか。ただ、彼が残した財団は、我が国にとって益となっているようですね。
青田です。
今の大河ドラマ黒田官兵衛
を観ていて、逆に毛利の優柔不断さには、
驚き、呆れました。
毛利は、優柔不断でなければ、何度も
織田信長を打ち破るチャンスはあったんですね。
その証拠に、播磨の多くの武将が、毛利をあてにしていました。
難しいものです。