その他にも、中華の法体系にならった律令や、我が国の歴史書である国史の編纂(へんさん)を開始されたり、我が国初の銭貨(せんか)となる富本銭(ふほんせん)の鋳造を行われたりしました。
外交面では新羅との国交を回復させ、遣新羅使を何度も派遣される一方で、唐との国交を一時的に断絶されました。この結果、我が国は新羅という独立国家をはさんで、唐との外交関係修復に時間を費やすことができたのです。なお、遣唐使の復活は8世紀当初まで待つことになります。
また、天武天皇は自身(=天皇)が中心となる力強い国家体制の確立を目指されて、中華の都城(とじょう)にならった本格的な宮都である藤原京(ふじわらきょう)の造営を開始されるなど、様々な政策を行われましたが、こうした大胆な改革を実現できたのも、壬申の乱によって中央の豪族などの「抵抗勢力」を排除したことで、改新への事業が勢いづいたからだと考えられます。
※下記の映像は12月28日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
下手に対立するよりも、調子の良い相手を上手く
利用して、他国の関係を良くして行こうとした考えは畏れ入りますね^^;
それとは別な話ですが、
広島に黒田選手が戻って来るそうですね!
おめでとうございます♪
オバrev この時代、老いぼれた私の頭に残っている教科書的知識は、天智天皇~天武天皇~聖武天皇ですが、天武天皇の行った改革の中身については教科書には殆ど出てこなかったように思います。
歴史的意味があまりなかったのか、歴史的研究が昔はあまり行われていなかったのか、どうなんでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 下手に対立するよりも、調子の良い相手を上手く
> 利用して、他国の関係を良くして行こうとした考えは畏れ入りますね^^;
仰るとおりですね。
これぞ外交の真髄だと思います。
> それとは別な話ですが、
> 広島に黒田選手が戻って来るそうですね!
> おめでとうございます♪
8年ぶりですからね。本当にうれしい限りです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この時代、老いぼれた私の頭に残っている教科書的知識は、天智天皇~天武天皇~聖武天皇ですが、天武天皇の行った改革の中身については教科書には殆ど出てこなかったように思います。
>
> 歴史的意味があまりなかったのか、歴史的研究が昔はあまり行われていなかったのか、どうなんでしょうか?
他の時代に比べて地味であることが原因かもしれませんね。
あるいは、朝鮮半島との絶妙な外交関係が、今の時代に知られたくないとか…。
下手に対立するよりも、調子の良い相手を上手く
利用して、他国の関係を良くして行こうとした考えは畏れ入りますね^^;
それとは別な話ですが、
広島に黒田選手が戻って来るそうですね!
おめでとうございます♪
歴史的意味があまりなかったのか、歴史的研究が昔はあまり行われていなかったのか、どうなんでしょうか?
> 利用して、他国の関係を良くして行こうとした考えは畏れ入りますね^^;
仰るとおりですね。
これぞ外交の真髄だと思います。
> それとは別な話ですが、
> 広島に黒田選手が戻って来るそうですね!
> おめでとうございます♪
8年ぶりですからね。本当にうれしい限りです。
>
> 歴史的意味があまりなかったのか、歴史的研究が昔はあまり行われていなかったのか、どうなんでしょうか?
他の時代に比べて地味であることが原因かもしれませんね。
あるいは、朝鮮半島との絶妙な外交関係が、今の時代に知られたくないとか…。