まず、668年に我が国で初の本格的な法令となる近江令(おうみりょう)を、中臣鎌足らとともに制定したとされています。ただ、近江令は現存せず、近年ではその存在を疑われている一面もあります。続いて670年には、公地公民制への準備として、我が国初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)がつくられました。
また、671年には漏刻(ろうこく)、つまり水時計が宮廷内に設置され、正確な時を告げるようになったとされています。この日は今の暦に直すと6月10日であり、「時の記念日」として有名ですね。
こうした一方で、天智天皇のご在位中に中臣鎌足が669年に56歳で亡くなりました。鎌足の死の直前に、天智天皇は大織冠(だいしょくかん)の地位と「藤原」の姓を授けられました。鎌足は死後に「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」と呼ばれ、我が国の歴史にその名を残す藤原氏の始祖となったのです。
※下記の映像は12月28日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
中臣鎌足も寿命が縮まる程の波瀾万丈な人生を送られた割には、随分と長命だったのですね!
そう言えば
歴史のテストの前に
不謹慎な語呂合わせで名前を覚えたのを
思い出しました(^^ゞ
「なまごみのかたまり」
失礼致しましたm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「なまごみのかたまり」
ありましたねぇ(笑)。
不謹慎な語呂合わせも、インパクトがありますからいつまでも覚えられますし、これもまた勉強ですね(^^;
中臣鎌足も寿命が縮まる程の波瀾万丈な人生を送られた割には、随分と長命だったのですね!
そう言えば
歴史のテストの前に
不謹慎な語呂合わせで名前を覚えたのを
思い出しました(^^ゞ
「なまごみのかたまり」
失礼致しましたm(__)m
ありましたねぇ(笑)。
不謹慎な語呂合わせも、インパクトがありますからいつまでも覚えられますし、これもまた勉強ですね(^^;