こうして唐と同盟を結んだ新羅は、やがて反撃に転じました。660年には唐と共同で百済を攻め、首都を落とされた百済は滅亡してしまいました。
百済の遺臣たちの多くは、かねてから同盟を結んでいた我が国に逃れ、百済の復興を訴えました。彼らに同意した朝廷は、翌年の661年に斉明天皇ご自身が先頭となって軍勢を率いて、百済救済のために九州へ向けて出発しました。
しかし、斉明天皇は九州から動けぬまま、病のためにその年の夏に68歳で崩御されました。斉明天皇の崩御後は、中大兄皇子が即位しないままで政治を行いました。これを称制(しょうせい)といいます。
※下記の映像は12月21日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 青田です。
やはり、日本が本当の文化国家になったのは、
朝鮮半島のように陸続きで、なかったことが幸いした気がします。
海洋国家の
日本の文化の面白さは
① 海路で、文化が入るので、ほぼ原形の純粋なまま文化が入り、そのまま残る。
→ 日本の今の漢字は、その意味を古来よりあまり変えていません。それにたいして、シナは、王朝が変わるたびにその意味・文法も変わり、
文化が変容して、無茶苦茶になってしまいました。
だから、今でも、中国では、歴史的建造物があまり残ってません。(文化大革命の前からです。)
これは、仏教も同じで、海路で、伝わったタイ・スリランカは、原始仏教でそのまま伝わっていますが、それ以外の国は、変容しています。
② 取り入れる文化と絶対に取り入れない文化を分ける。
日本は、シナから、文化を取り入れてきましたが、朝鮮半島のように、やみくもに取り入れることは、しませんでした。
(例:宦官だけは、絶対に取り入れませんでした。)
さらに神道・仏教・中華文化のハイブリッド化も日本のお家芸だと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、地理的環境が我が国に大きな影響を与えたことは間違いないと思います。
我が国は私たちの想像以上に恵まれているともいえそうですね。
ぴーち こんばんは!
なりふり構わぬ策ですか・・
一国をこれだけの思いをしながら
守り切ったという事に対しては
賞賛に値する事ではないでしょうか・・
窮地に追い込まれた時の最後の最後に
参考にしておきたい事でも有るような^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 話が先走りますが、この後の新羅が統一国家を樹立したのは紛れもない事実です。
とはいえ、当時の中華との力関係が、現代にまで至っているという現実を思えば、やはり手放しで参考にできるとは言いがたいものがありますね。
やはり、日本が本当の文化国家になったのは、
朝鮮半島のように陸続きで、なかったことが幸いした気がします。
海洋国家の
日本の文化の面白さは
① 海路で、文化が入るので、ほぼ原形の純粋なまま文化が入り、そのまま残る。
→ 日本の今の漢字は、その意味を古来よりあまり変えていません。それにたいして、シナは、王朝が変わるたびにその意味・文法も変わり、
文化が変容して、無茶苦茶になってしまいました。
だから、今でも、中国では、歴史的建造物があまり残ってません。(文化大革命の前からです。)
これは、仏教も同じで、海路で、伝わったタイ・スリランカは、原始仏教でそのまま伝わっていますが、それ以外の国は、変容しています。
② 取り入れる文化と絶対に取り入れない文化を分ける。
日本は、シナから、文化を取り入れてきましたが、朝鮮半島のように、やみくもに取り入れることは、しませんでした。
(例:宦官だけは、絶対に取り入れませんでした。)
さらに神道・仏教・中華文化のハイブリッド化も日本のお家芸だと思います。
我が国は私たちの想像以上に恵まれているともいえそうですね。
なりふり構わぬ策ですか・・
一国をこれだけの思いをしながら
守り切ったという事に対しては
賞賛に値する事ではないでしょうか・・
窮地に追い込まれた時の最後の最後に
参考にしておきたい事でも有るような^^
とはいえ、当時の中華との力関係が、現代にまで至っているという現実を思えば、やはり手放しで参考にできるとは言いがたいものがありますね。