こうなると困ったのは新羅です。高句麗と百済の両方から攻められたうえに、我が国の支援も得られず、追いつめられた新羅は、起死回生の策として唐との軍事同盟を選択しましたが、これは、ある意味非常に危険な賭けでした。
新羅が唐と同盟を結べば、間に挟まれた高句麗や百済と戦いやすくはなりますが、問題はその後です。高句麗や百済が滅んだ後は、唐と新羅の両国が残されます。ということは、唐は新羅のみを相手にじっくりと時間をかけて滅ぼすことが可能となるわけです。
その後の展開が読めていた唐は、新羅からの誘いを喜んで受けました。唐から見て、遠く(=新羅)の相手と結んで、近く(=高句麗・百済)の敵を倒す、という政策のことを、遠交近攻といいます。
一方、新羅にしてみれば、将来の不安よりも、「今そこにある危機」の打開のためには、やむを得ない選択でした。そして新羅は、唐の信頼を得るために、それまでの常識では考えられない政策を始めるのです。
※下記の映像は12月21日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
戦わずして、既に先が見えてしまっている同盟ですか・・
その後の新羅の思惑が気になりますね。
この当時の新羅は今の日本の状況と類似している様に見えるのですが・・・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦わずして、既に先が見えてしまっている同盟ですか・・
> その後の新羅の思惑が気になりますね。
> この当時の新羅は今の日本の状況と類似している様に見えるのですが・・・。
なるほど、新羅が我が国と似ていますか…。
そのあたりも含めて、新羅の「常識破り」をじっくりとご覧いただきたいと思います。
戦わずして、既に先が見えてしまっている同盟ですか・・
その後の新羅の思惑が気になりますね。
この当時の新羅は今の日本の状況と類似している様に見えるのですが・・・。
> その後の新羅の思惑が気になりますね。
> この当時の新羅は今の日本の状況と類似している様に見えるのですが・・・。
なるほど、新羅が我が国と似ていますか…。
そのあたりも含めて、新羅の「常識破り」をじっくりとご覧いただきたいと思います。