幼少時から優秀かつ果敢な性格を称(たた)えられていた中大兄皇子にとっては、自分も将来は山背大兄王のような目にあうかもしれない、という思いと、何よりも蘇我氏による専横をこれ以上黙って見ていられない、という強い危機感とを持っていました。
中臣鎌足は代々神事を担当した中臣氏の一族でしたが、我が国で仏教を受けいれるかどうかの問題で、物部氏(もののべし)と共に蘇我氏と対立し、以後は勢力が弱まっていました。彼もまた、蘇我氏のやりたい放題をこのまま見過ごしておけない、という使命感に燃えていたのです。
蹴鞠の会によって出会うべくして出会った二人は、留学生として隋へ渡り、唐になってから帰国した南淵請安(みなぶちのしょうあん)から教えを請うという形で何度も密会し、蘇我氏打倒の作戦を練り続けていました。
二人は、蘇我氏の一族でありながら入鹿の専横を憎んでいた蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)を味方に引き入れることに成功し、石川麻呂の娘が中大兄皇子の妃(きさき)となりました。
※下記の映像は12月10日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど!
既に幼い頃から世の中の流れや、将来のことも
しっかり見通す力が備わっていたんですね。
先見の明と言うのは、やはり
幼少の頃から磨かれるものなんですね・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 既に幼い頃から世の中の流れや、将来のことも
> しっかり見通す力が備わっていたんですね。
> 先見の明と言うのは、やはり
> 幼少の頃から磨かれるものなんですね
中大兄皇子の場合はまさに仰るとおりですね。
こういった感性が将来役立つこともあれば、そうでないことも…。
なるほど!
既に幼い頃から世の中の流れや、将来のことも
しっかり見通す力が備わっていたんですね。
先見の明と言うのは、やはり
幼少の頃から磨かれるものなんですね・
> しっかり見通す力が備わっていたんですね。
> 先見の明と言うのは、やはり
> 幼少の頃から磨かれるものなんですね
中大兄皇子の場合はまさに仰るとおりですね。
こういった感性が将来役立つこともあれば、そうでないことも…。