7世紀の前半には、我が国初の女性天皇でいらっしゃる推古天皇(すいこてんのう)の摂政となった聖徳太子(しょうとくたいし)によって、603年には冠位十二階(かんいじゅうにかい)が、604年には憲法十七条が制定されたほか、607年には小野妹子(おののいもこ)を遣隋使(けんずいし)として隋(ずい)に渡らせ、対等外交を樹立するなどの輝かしい実績を残しました。
また、朝廷による中央集権体制を確固たるものとした大化の改新や、天皇中心の力強い国家体制をつくりあげるとともに、懸案となっていた外交問題を解決するきっかけとなった壬申(じんしん)の乱も、いずれも7世紀の半ばから後半にかけて起きているのです。
今回の講座では、聖徳太子以後の我が国の方針を決定づけた、7世紀の「2つの政変」について、様々な観点から詳しくご紹介したいと思います。
※下記の映像は12月10日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
これはまた一気にまた振り出しに戻った気分に
なりました(笑)
聖徳太子が活躍していた時代ですね。
私にとっては全く未知の世界の話ですし、まだまだ
知り得ない事も山ほどありますので
また勉強させてくださいm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 現代史から久々の古代史ですからね(笑)。
あまり知られていない時代ですので、これからじっくりと紹介していきます。
これはまた一気にまた振り出しに戻った気分に
なりました(笑)
聖徳太子が活躍していた時代ですね。
私にとっては全く未知の世界の話ですし、まだまだ
知り得ない事も山ほどありますので
また勉強させてくださいm(__)m
あまり知られていない時代ですので、これからじっくりと紹介していきます。