船長は神戸の領事裁判所で裁判を受けましたが、同じイギリス人の判事は無罪の判決を言い渡しました。多くの日本国民はこの判決に激怒し、政府も船長を殺人罪で告訴して横浜領事裁判所で再び裁判が行われましたが、船長に下された判決はわずかに禁錮(きんこ、監獄に閉じ込める刑罰のこと)3ヵ月であり、被害者への賠償は一切行われませんでした。
我が国で罪を犯した外国人に対して、同じ外国人が裁判権を握っている以上、正当な裁判が行われることが不可能であることを嫌(いや)というほど思い知らされた国民の間から、領事裁判権の撤廃を求める声が日増しに高くなっていきましたが、そんな折に外国人判事を認める井上の改正案が発覚したものですから、国民の怒りが頂点に達してしまったのです。
結局、井上の改正案は見送られ、条約改正の交渉を中止するとともに、井上は混乱の責任を取って外務大臣を辞任しました。
なお、井上による一連の条約改正交渉に失望した民権派によって三大事件建白運動が始まり、自由民権運動が再び活発化しました。また、同じ紀州沖でこれより4年後の明治23(1890)年に再び起きた不幸な遭難(そうなん)事故(=エルトゥールル号事件)が、我が国とトルコとの厚い友情のきっかけとなりました。
※下記の映像は10月24日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
この時代、日本という国は
これ程までに見くびられていた訳ですね。
白人至上主義の最たるもの・・ですね・・
その後のトルコとのお話は、黒田さんの所で
以前勉強させていただいた記憶がありますが、
その記憶が少し曖昧になってしまったので、
再確認させていただきます♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、白人は有色人種など人間扱いしていなかったのです。そんな排他主義が招いた悲劇でもありました。
我が国とトルコの関係については、第13回歴史講座で紹介しました。
下記のURLをご参考ください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-category-25.html
この時代、日本という国は
これ程までに見くびられていた訳ですね。
白人至上主義の最たるもの・・ですね・・
その後のトルコとのお話は、黒田さんの所で
以前勉強させていただいた記憶がありますが、
その記憶が少し曖昧になってしまったので、
再確認させていただきます♪
我が国とトルコの関係については、第13回歴史講座で紹介しました。
下記のURLをご参考ください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-category-25.html