ようやく全権委任状を入手できた使節団でしたが、アメリカから新たな条約項目の提案を受けるなどの難題が多かったこともあり、条約改正の交渉は結局打ち切られてしまいました。
その後の使節団は、その目的を欧米視察に切り替え、近代国家の政治や産業など多くの見聞を広め、欧米の発展した文化を政府首脳が直接目にしたことで、我が国が列強からの侵略を受けないためにも、内政面における様々な改革が急務であることを痛感しました。
なお、岩倉使節団の条約改正交渉の失敗に対しては、以下のように風刺(ふうし)した狂歌(きょうか、日常を題材に洒落や風刺を盛り込んだ短歌のこと)が知られています。
「条約は 結びそこなひ 金は捨て 世間へたいし 何と岩倉」
(※「たいし」は「対し」と「大使」とをかけている)
※下記の映像は10月24日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに条約交渉には失敗しても、転んでもタダでは置き上がらない精神は、学ぶ所大だと思います!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに条約交渉には失敗しても、転んでもタダでは置き上がらない精神は、学ぶ所大だと思います!
私もそう思います。特に大久保利通や伊藤博文は大きな屈辱を味わっただけに、その後の外国視察には期するものがあったでしょうし。その一方で、常に結果が求められる政治への風刺は厳しいものがありますね。
確かに条約交渉には失敗しても、転んでもタダでは置き上がらない精神は、学ぶ所大だと思います!
私もそう思います。特に大久保利通や伊藤博文は大きな屈辱を味わっただけに、その後の外国視察には期するものがあったでしょうし。その一方で、常に結果が求められる政治への風刺は厳しいものがありますね。