また、中田さんが担当した地域で開票作業をしていた投票箱の中から、いくつもの手紙が出てきて、中にはこう書いていたものもあったそうです。
「今まで民主主義とか人権とかいう言葉に触(ふ)れることなく、一生を戦争のなかで暮(く)らさねばならないのか、と思っていたけれど、こうやって初めて自分たちの意思が表せる選挙ができ、こんな嬉(うれ)しいことはありません。ありがとう」。
中田厚仁さんの肉体は天に召(め)されましたが、この後、1998(平成10)年に「ナカタアツヒト小学校」が建てられるなど、彼がこの世に遺(のこ)した精神は、いつまでもカンボジアの人々を温かく見守っているのです。最後に中田さんが生前に語っておられた言葉を紹介します。
「だけれども僕はやる。この世の中に、誰かがやらなければならない事があるとき、僕は、その誰かになりたい」。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですか。
彼の意志が1つの種となり、
しっかりその土地に根付き、立派な花を咲かせたのですね!
その様子を是非、彼自身が感じて見て頂きたかったのが返す返すも残念でなりませんが、
きっと、彼の中ではそうなるであろう・・という
確固たる確信があって、行動を起こしたのかもしれないと思いたいですね・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
彼の取った行動については様々な意見があって良いと思われますが、彼の意思が永久にこの世に残ったことを、私たちは素直に受け止めるべきかもしれません。
そうですか。
彼の意志が1つの種となり、
しっかりその土地に根付き、立派な花を咲かせたのですね!
その様子を是非、彼自身が感じて見て頂きたかったのが返す返すも残念でなりませんが、
きっと、彼の中ではそうなるであろう・・という
確固たる確信があって、行動を起こしたのかもしれないと思いたいですね・・・
彼の取った行動については様々な意見があって良いと思われますが、彼の意思が永久にこの世に残ったことを、私たちは素直に受け止めるべきかもしれません。