かねてより世界平和に関心を抱(いだ)き、国連で働くことを希望していた中田さんは、大学を卒業したばかりの平成4年5月にUNVに採用され、7月にカンボジアへ渡ると、最も危険なコンポトム州の巡回要員に自ら志願しました。
道すら十分になく、時には何時間も濁(にご)った川を泳いで移動しながら、中田さんは選挙の必要性などについて、カンボジアの国民に真剣に説(と)いて回りました。
しかし、総選挙が目前に迫(せま)った平成5(1993)年4月8日、中田さんは何者かに銃で至近距離から2発撃(う)たれ、「I am dying(私は死んでいきます)」という言葉を無線に残して、25歳の若さでこの世を去りました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですか。。痛ましいお話ですね。。。
彼の高い志と勇気には頭が下ります。
しかしながら、たったひとりで乗り込んでしまった
所は、ある意味自殺行為であったと悔やまれてなりません。
正義感だけを引っ提げて、猪突猛進に突き進んでしまうと取り返しのつかない事が起きかねませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、痛ましい話でした。
彼にそこまでの高い志を持たせたのは一体何だったのでしょうか。
次回の更新で紹介したいと思います。
そうですか。。痛ましいお話ですね。。。
彼の高い志と勇気には頭が下ります。
しかしながら、たったひとりで乗り込んでしまった
所は、ある意味自殺行為であったと悔やまれてなりません。
正義感だけを引っ提げて、猪突猛進に突き進んでしまうと取り返しのつかない事が起きかねませんね。
彼にそこまでの高い志を持たせたのは一体何だったのでしょうか。
次回の更新で紹介したいと思います。