なぜなら、東アジアにおいて、周辺の国が「中国」を訪問することが「朝貢(ちょうこう)」とみなされていたからです。ということは、もし天皇陛下が「中国」の都を訪問されれば、それは我が国が「中国」の傘下(さんか)に入ることを意味していました。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)首相と加藤紘一(かとうこういち)内閣官房長官は、中華人民共和国側の誘いにあっさりと乗ってしまい、平成4(1992)年に天皇陛下の訪中が実現してしまいました。
中華人民共和国は天皇のご訪問に「感激」して、「今後は歴史問題について言及(げんきゅう)しない」と我が国に約束しましたが、日本を「家来」扱いした「中国」が、そんな口約束を守るはずがありません。
かくして、天皇陛下の訪中をきっかけとして、以後の中華人民共和国は、平成21(2009)年に、習近平(しゅうきんぺい)国家副主席(現在は国家主席)が無理やり天皇陛下との会見をねじ込むなど、我が国に対して傲岸不遜(ごうがんふそん)な姿勢をとるようになってしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この内容に関しては、チャイナには、あまり、怒りを感じません。
というのは、チャイナとは、元々、無茶苦茶な国(??国民国家という定義では、国ではありませんが)
だからです。
それに、元々、日本の敵だからです。
それよりも、日本の当時の政府の首脳部の無知に怒りを感じます。
河野談話と言い、この当時の日本の政府の首脳部と言い、
〇 無知な味方は、ずる賢い敵よりもタチが悪い。
〇 味方の中の敵は、目の前の敵よりもタチが悪い。
〇 弱い味方は、強い敵よりもタチが悪い。
という格言は、ズバリだと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、当時の政府首脳の「お花畑全開」ぶりの方が腹立たしく思えますよね。
情けない限りです。
ぴーち こんばんは!
宮澤さんと言えば、
外国生活も長い方だと認識しておりましたが、
案外、考え方は日本人独特な方だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 宮澤氏には色々な考えがあるとは思いますが、今回の件については厳しい評価をせざるを得ないと思います。
詳しくは次回の更新をご覧ください。
青田です。
この内容に関しては、チャイナには、あまり、怒りを感じません。
というのは、チャイナとは、元々、無茶苦茶な国(??国民国家という定義では、国ではありませんが)
だからです。
それに、元々、日本の敵だからです。
それよりも、日本の当時の政府の首脳部の無知に怒りを感じます。
河野談話と言い、この当時の日本の政府の首脳部と言い、
〇 無知な味方は、ずる賢い敵よりもタチが悪い。
〇 味方の中の敵は、目の前の敵よりもタチが悪い。
〇 弱い味方は、強い敵よりもタチが悪い。
という格言は、ズバリだと思います。
情けない限りです。
宮澤さんと言えば、
外国生活も長い方だと認識しておりましたが、
案外、考え方は日本人独特な方だったのですね。
詳しくは次回の更新をご覧ください。