また、円高の加速によって、我が国は内需(ないじゅ)拡大型の経済転換を強(し)いられたことで、公共事業の拡大や、所得税減税による内需拡大・低金利政策などが矢継ぎ早に実施されました。
これらの政策が功を奏(そう)すると同時に、輸出産業がマイクロ=エレクトロニクス技術の導入や、コンピュータや通信機器を用いた生産・流通・販売のネットワーク化を行うことによって、我が国は不況を克服したのみならず、貿易収支も大幅な黒字を記録しました。
円高不況を乗り越えた我が国では、膨大(ぼうだい)な資金が余剰(よじょう)となりましたが、これらが株や土地に投入されたことによって、地価や株価が右肩上がりに上昇して、我が国は空前の好景気を迎えることになりました。いわゆる「バブル景気」の始まりです。
なお、バブル景気を迎えて経済大国となった我が国は、1980年代に発展途上国への政府開発援助(=ODA)が世界第1位となったほか、好景気で日本人の生活が豊かとなったことで、労働運動が衰退(すいたい)し、平成元(1989)年には労使協調路線の日本労働組合総連合会(=連合)が成立し、従来の総評も合流しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
バブルの頃の話ですね。
あの頃はちょうど
私が学校を卒業し、勤め始めた頃でした。
私はほとんど、バブル景気の恩恵を受ける事が
出来ませんでしたが、自動車会社に就職した友達は、
初年度のボーナスをいきなり50万くれたと
驚いていた話をしていましたっけ・・
また他の友だちも
20代早々で持ち家を建てたようで・・
後からそんな話を聞いて、
その頃、少しでも欲を出して頑張っていればなと
今更ながら、反省しきりですww
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も世代的にバブルの恩恵はほとんど受けておりませんが、あの頃の日本経済は力強かったですよね。
バブル景気の評価については、次回の更新で考察します。
バブルの頃の話ですね。
あの頃はちょうど
私が学校を卒業し、勤め始めた頃でした。
私はほとんど、バブル景気の恩恵を受ける事が
出来ませんでしたが、自動車会社に就職した友達は、
初年度のボーナスをいきなり50万くれたと
驚いていた話をしていましたっけ・・
また他の友だちも
20代早々で持ち家を建てたようで・・
後からそんな話を聞いて、
その頃、少しでも欲を出して頑張っていればなと
今更ながら、反省しきりですww
バブル景気の評価については、次回の更新で考察します。