「千島の奥」は千島列島すべてを意味しますから、明治8(1875)年に樺太・千島交換条約を結び、また明治12(1879)年に沖縄県を設置した後でつくられた歌詞であるということが分かります。ちなみに4番の歌詞は我が国の領土が拡大するたびに変化していきました。
「千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり」
(日清戦争後に台湾を領有)
「台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり」
(日露戦争後に南樺太を領有)
その後、大東亜戦争で我が国が敗戦した際に樺太や台湾を手放(てばな)しただけでなく、千島列島がソビエト連邦(現在のロシア)に不法占拠(ふほうせんきょ)され、また沖縄が長い間アメリカの支配下に置かれたことで「実情に合わない」からと歌われなくなってしまったようです。
しかし、沖縄が返還されてから早や40年以上が経過した現在、我が国固有の領土である北方領土の存在を絶(た)えず意識するためにも、当初の歌詞である「千島の奥も 沖縄も」を堂々と歌い継(つ)ぐべきではないでしょうか。
※下記の映像は8月29日までの掲載分をまとめたものです。
(※第43回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[8月30日]からは通常の更新[=昭和時代・戦後]に戻ります)
(※追記で「螢の光」の全歌詞をご覧いただけます)
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
2.止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言(ひとこと)に
幸(さき)くとばかり 歌うなり
3.筑紫(つくし)の極(きわ)み 陸(みち)の奥(おく)
海山(うみやま)遠く 隔(へだ)つとも
その真心(まごころ)は 隔(へだ)てなく
一つに尽(つ)くせ 国の為(ため)
4.千島(ちしま)の奥(おく)も 沖縄(おきなわ)も
八洲(やしま)の内(うち)の 守りなり
至(いた)らん国に 勲(いさお)しく
努(つと)めよわが背(せ) 恙無(つつがな)く





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書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
2.止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言(ひとこと)に
幸(さき)くとばかり 歌うなり
3.筑紫(つくし)の極(きわ)み 陸(みち)の奥(おく)
海山(うみやま)遠く 隔(へだ)つとも
その真心(まごころ)は 隔(へだ)てなく
一つに尽(つ)くせ 国の為(ため)
4.千島(ちしま)の奥(おく)も 沖縄(おきなわ)も
八洲(やしま)の内(うち)の 守りなり
至(いた)らん国に 勲(いさお)しく
努(つと)めよわが背(せ) 恙無(つつがな)く





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ぴーち こんばんは!
確かに日本人の奥ゆかしさは、世界に絶賛されるべき特性かも知れませんが、
世界と切磋琢磨し、また先進国の一国として
歩んでいくことを選んだのなら、
主張していくべき事はしっかり主張するべきですよね。
「何も言わなくても分かるだろう」
と言う小声の主張は、国内では通じても
外国からは甘えではないか?。。くらいにしか思われなくなってしまいますよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「何も言わなくても分かるだろう」
> と言う小声の主張は、国内では通じても
> 外国からは甘えではないか?。。くらいにしか思われなくなってしまいますよね。
まさしく仰るとおりです。日本人の「奥ゆかしさ」はあくまで国内でとどめるものであり、外国に対しては積極的にアピールすべきです。
確かに日本人の奥ゆかしさは、世界に絶賛されるべき特性かも知れませんが、
世界と切磋琢磨し、また先進国の一国として
歩んでいくことを選んだのなら、
主張していくべき事はしっかり主張するべきですよね。
「何も言わなくても分かるだろう」
と言う小声の主張は、国内では通じても
外国からは甘えではないか?。。くらいにしか思われなくなってしまいますよね。
> と言う小声の主張は、国内では通じても
> 外国からは甘えではないか?。。くらいにしか思われなくなってしまいますよね。
まさしく仰るとおりです。日本人の「奥ゆかしさ」はあくまで国内でとどめるものであり、外国に対しては積極的にアピールすべきです。