1.螢の光や雪に反射して窓から差し込む月の光を使って、書物を読む日々を重ねていると、いつの間にか年月が過ぎ去っていき、今朝は杉でできた扉を開けてクラスメートと別れていく。
(※「年月が『すぎ』るのと、『すぎ』の戸を開けるのをかけている)
2.故郷に残る人も、出て行く人も、今日限りでお別れということで、互いに思う数限りない心のうちを、「無事であれ」というひと言に込めて歌う。
(※「かたみに」は「互いに」の古語)
では、いよいよ本題に入りましょう。3番の歌詞は、筑紫は九州、陸の奥は陸奥(みちのく)、つまり東北のことですから、「我が国のどこにいようと国のために真心を尽くしなさい」と解釈できますね。
3番が歌われなくなった理由としては、大東亜戦争後に、軍国主義を過剰なまでに排除する風潮が高まったことで、歌詞の「一つに尽くせ国の為」が敬遠されてしまったからのようです。歌詞全体をよく読めば、愛国心を持つとともに相手を思いやり、社会に貢献するという当然の内容だと思うのですが…。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
※下記の映像は8月29日までの掲載分をまとめたものです。
(※追記で「螢の光」の全歌詞をご覧いただけます)
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
2.止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言(ひとこと)に
幸(さき)くとばかり 歌うなり
3.筑紫(つくし)の極(きわ)み 陸(みち)の奥(おく)
海山(うみやま)遠く 隔(へだ)つとも
その真心(まごころ)は 隔(へだ)てなく
一つに尽(つ)くせ 国の為(ため)
4.千島(ちしま)の奥(おく)も 沖縄(おきなわ)も
八洲(やしま)の内(うち)の 守りなり
至(いた)らん国に 勲(いさお)しく
努(つと)めよわが背(せ) 恙無(つつがな)く





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書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
2.止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言(ひとこと)に
幸(さき)くとばかり 歌うなり
3.筑紫(つくし)の極(きわ)み 陸(みち)の奥(おく)
海山(うみやま)遠く 隔(へだ)つとも
その真心(まごころ)は 隔(へだ)てなく
一つに尽(つ)くせ 国の為(ため)
4.千島(ちしま)の奥(おく)も 沖縄(おきなわ)も
八洲(やしま)の内(うち)の 守りなり
至(いた)らん国に 勲(いさお)しく
努(つと)めよわが背(せ) 恙無(つつがな)く





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ぴーち こんばんは!
仰るとおり、日本という国に生まれ
日本人としてこうして生かされていることに
感謝の思いを持つ事は大切だと思います。
そしてその思いを愛国心として
抱くことは1つも悪いことではなく、
むしろこの国の住人として、これまで
生きて来られたという事は
それだけ恵まれていた証拠であり、
国に命を守られて来たと言っても過言では
無いと思います。
その日本のことをもっと大切にして行こうという
考え方はこれからもずっと絶やしたくはありませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰ること、まさにその通りです。
だからこそ、私たちは唱歌の歴史を語り継ぐとともに、螢の光の3番を歌い継がねばなりません。もちろん4番も…。
仰るとおり、日本という国に生まれ
日本人としてこうして生かされていることに
感謝の思いを持つ事は大切だと思います。
そしてその思いを愛国心として
抱くことは1つも悪いことではなく、
むしろこの国の住人として、これまで
生きて来られたという事は
それだけ恵まれていた証拠であり、
国に命を守られて来たと言っても過言では
無いと思います。
その日本のことをもっと大切にして行こうという
考え方はこれからもずっと絶やしたくはありませんね。
だからこそ、私たちは唱歌の歴史を語り継ぐとともに、螢の光の3番を歌い継がねばなりません。もちろん4番も…。