「われは海の子」の歌詞をすべて読めば、これが「海洋国家日本に生まれた男子の成長の歌」であることがよく分かります。
1番で故郷である海辺の住家をイメージして、2番から4番までで、幼少期から成長期までの流れを歌った後、5番でたくましく成人した「海の男」と、6番でその心意気を示し、そして7番で海洋国家である我が国日本を護る決意をあらわすという、見事な物語として完結しています。
ところが、大東亜戦争の敗北後に、7番の歌詞が 「国防思想や軍艦が登場するのはケシカラン」という理由でGHQの指示によって教科書から削られてしまい、その流れを受けて戦後の教科書では3番までしか教えられなくなってしまっているのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
※下記の映像は8月29日までの掲載分をまとめたものです。
(※追記で「われは海の子」の全歌詞をご覧いただけます)
騒(さわ)ぐ磯辺(いそべ)の 松原に
煙(けむり)たなびく ※1苫屋(とまや)こそ
我がなつかしき 住家(すみか)なれ
2.生まれて潮(しお)に 浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を
吸いて童(わらべ)と なりにけり
3.高く鼻つく 磯(いそ)の香(か)に
不断(ふだん)の花の かおりあり
なぎさの松に 吹く風を
※2いみじき楽(がく)と 我は聞く
4.※3丈余(じょうよ)の※4ろかい 操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ ※5浪まくら
※6百尋(ももひろ)千尋(ちひろ) 海の底
遊びなれたる 庭広し
5.幾年(いくとせ)ここに きたえたる
鉄より堅(かた)き かいなあり
吹く塩風に 黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう) さながらに
6.浪にただよう 氷山(ひょうざん)も
来(きた)らば来(きた)れ 恐(おそ)れんや
海まき上(あ)ぐる たつまきも
起(おこ)らば起(おこ)れ 驚かじ
7.いで大船を 乗出(のりだ)して
我は拾わん 海の富(とみ)
いで軍艦に 乗組(のりく)みて
我は護(まも)らん 海の国
※1 苫屋=苫(とま、「むしろ」の意味)で屋根を葺(ふ)いた家のこと
※2 いみじき=立派な、素晴らしい
※3 丈余=一丈(約3m)余りあること
※4 ろかい=船を動かす艪(ろ)と櫂(かい)のこと
※5 浪まくら=船中で旅寝をすること、または「船路(ふなじ)の旅」
※6 尋=長さの単位で、約1.8m(=6尺)





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騒(さわ)ぐ磯辺(いそべ)の 松原に
煙(けむり)たなびく ※1苫屋(とまや)こそ
我がなつかしき 住家(すみか)なれ
2.生まれて潮(しお)に 浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を
吸いて童(わらべ)と なりにけり
3.高く鼻つく 磯(いそ)の香(か)に
不断(ふだん)の花の かおりあり
なぎさの松に 吹く風を
※2いみじき楽(がく)と 我は聞く
4.※3丈余(じょうよ)の※4ろかい 操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ ※5浪まくら
※6百尋(ももひろ)千尋(ちひろ) 海の底
遊びなれたる 庭広し
5.幾年(いくとせ)ここに きたえたる
鉄より堅(かた)き かいなあり
吹く塩風に 黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう) さながらに
6.浪にただよう 氷山(ひょうざん)も
来(きた)らば来(きた)れ 恐(おそ)れんや
海まき上(あ)ぐる たつまきも
起(おこ)らば起(おこ)れ 驚かじ
7.いで大船を 乗出(のりだ)して
我は拾わん 海の富(とみ)
いで軍艦に 乗組(のりく)みて
我は護(まも)らん 海の国
※1 苫屋=苫(とま、「むしろ」の意味)で屋根を葺(ふ)いた家のこと
※2 いみじき=立派な、素晴らしい
※3 丈余=一丈(約3m)余りあること
※4 ろかい=船を動かす艪(ろ)と櫂(かい)のこと
※5 浪まくら=船中で旅寝をすること、または「船路(ふなじ)の旅」
※6 尋=長さの単位で、約1.8m(=6尺)





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ぴーち こんばんは!
以前にも「我は海の子」に関してのお話を
黒田さんは仰っていましたね。
実際にはそれ以外の歌詞が存在するのに
伏せられてしまい、日の目を見られないのは、
哀しい事ですよね。
そういう時代だったとその時は
諦めるしか無かったのでしょうけれど、
もういつまでもそれを引きずっている時では
無いでしょうね。
そろそろ、お蔵入りになってしまったものに
光を充ててあげても良いのではないかと
思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 覚えていてくださり、有難うございます。
仰るとおり、戦後の占領期という異常な時代のことを、いつまでも引きずるのはおかしいと思います。
以前にも「我は海の子」に関してのお話を
黒田さんは仰っていましたね。
実際にはそれ以外の歌詞が存在するのに
伏せられてしまい、日の目を見られないのは、
哀しい事ですよね。
そういう時代だったとその時は
諦めるしか無かったのでしょうけれど、
もういつまでもそれを引きずっている時では
無いでしょうね。
そろそろ、お蔵入りになってしまったものに
光を充ててあげても良いのではないかと
思いますね。
仰るとおり、戦後の占領期という異常な時代のことを、いつまでも引きずるのはおかしいと思います。