将来を嘱望(しょくぼう)された滝廉太郎は、明治34年にヨーロッパへと留学しましたが、わずか2ヵ月後に肺結核にかかり、帰国して治療したものの、明治36(1903)年に23歳の若さで夭折(ようせつ)してしまいました。
滝廉太郎の悲運の生涯にも重なる、哀切をおびた非常に悲しげなメロディーである荒城の月は、彼の若死によって伝説となり、発表から110年以上が経過した今もなお、我が国の代表的な歌として、欧米を中心に世界の人々に愛され続けています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
※下記の映像は8月29日までの掲載分をまとめたものです。
(※追記で「荒城の月」の全歌詞をご覧いただけます)
巡(めぐ)る盃(さかずき) かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え) わけ出(い)でし
昔の光 いまいずこ
2.秋陣営(あきじんえい)の 霜(しも)の色
鳴きゆく雁(かり)の 数見せて
植(う)うる剣(つるぎ)に 照りそいし
昔の光 いまいずこ
3.いま荒城(こうじょう)の 夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光 誰(た)がためぞ
垣(かき)に残るは ただ葛(かずら)
松に歌うは ただ嵐(あらし)
4.天上影(てんじょうかげ)は 替(かわ)らねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
写さんとてか 今もなお
嗚呼(ああ)荒城の 夜半(よわ)の月





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巡(めぐ)る盃(さかずき) かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え) わけ出(い)でし
昔の光 いまいずこ
2.秋陣営(あきじんえい)の 霜(しも)の色
鳴きゆく雁(かり)の 数見せて
植(う)うる剣(つるぎ)に 照りそいし
昔の光 いまいずこ
3.いま荒城(こうじょう)の 夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光 誰(た)がためぞ
垣(かき)に残るは ただ葛(かずら)
松に歌うは ただ嵐(あらし)
4.天上影(てんじょうかげ)は 替(かわ)らねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
写さんとてか 今もなお
嗚呼(ああ)荒城の 夜半(よわ)の月





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ぴーち こんばんは!
人は死して名を残す。。。
まさに滝廉太郎もその一人だった訳ですか・・
荒城の月は
名曲中の名曲ですものね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
元々素晴らしい曲でしたが、滝廉太郎の夭折で伝説の名曲となった。そんな思いがします。
人は死して名を残す。。。
まさに滝廉太郎もその一人だった訳ですか・・
荒城の月は
名曲中の名曲ですものね。
元々素晴らしい曲でしたが、滝廉太郎の夭折で伝説の名曲となった。そんな思いがします。