明治5(1872)年、明治新政府によって学制が公布され、その際に小中学校における音楽教育も規定されましたが、具体的には何の準備もできていませんでした。
その後、明治12(1879)年に文部省(現在の文部科学省)に音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)が設立され、アメリカ留学帰りの伊沢修二(いさわしゅうじ)が御用掛(ごようがかり)に任命されました。
伊沢は、アメリカの音楽教育家であったメーソンを我が国に招き、音楽教員の育成方法や教育プログラムの開発を行うとともに、我が国初の官制唱歌である「小学唱歌集」を明治14(1881)年から17(1884)年にかけて、3編に分けて発表しました。
※下記の映像は8月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
何事も付け焼き刃で制定された
ものは、余り成功した事はないようですが、
この場合は、どんな行く末を辿ったのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに一般的にはそのようなイメージが強いですよね。
小学唱歌集の場合は、意外な事実が発覚するかもしれません。
何事も付け焼き刃で制定された
ものは、余り成功した事はないようですが、
この場合は、どんな行く末を辿ったのでしょうか・・
小学唱歌集の場合は、意外な事実が発覚するかもしれません。