また、昭和59(1984)年には、首相直属の諮問機関(しもんきかん、諮問は「意見を求める」という意味)である臨時教育審議会(=臨教審)を設置して、教育改革に着手したほか、外交では日米関係の緊密化を図り、当時のアメリカのロナルド・レーガン大統領と愛称で呼び合うほどの親密な関係を構築しました(いわゆる「ロン・ヤス」関係)。
中曽根内閣は、昭和61(1986)年の衆参同時選挙で自民党が圧勝するなど、安定した政治ぶりを見せましたが、昭和62年に財政再建のための大型間接税の導入に失敗すると、同年11月に、約5年続いた政権に幕を下ろしました。
なお、中曽根首相が、昭和60年の終戦記念日である8月15日に、靖国神社(やすくにじんじゃ)を公式参拝した際に、中華人民共和国や韓国からの猛反発(もうはんぱつ)を受けたことで、以後の参拝を中止しましたが、このことが、我が国の一部マスコミが中心となって、歴代の首相や大臣らが靖国神社に参拝することをためらわせる風潮(ふうちょう)をつくり上げるきっかけとなったのではないか、と考えられています。
中曽根首相が靖国神社の参拝を取りやめた昭和61年の終戦記念日に、昭和天皇は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)をお詠(よ)みになっておられます。
「この年の この日にもまた 靖國の みやしろのことに うれひはふかし」
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※次回[8月16日]からは第43回歴史講座の内容の更新を開始します)





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オバrev 中曽根内閣は自らを仕事師内閣と呼んで、確かに様々な事を実行し実績をあげたと思います。
あれだけ大胆な改革をしようとすると相当な官僚の反発があったはずですが、上手くかわしていたんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 中曽根内閣は、行政面においては世論を巧みに取り入れて、民営化事業などを乗り切った印象がありますね。
国鉄の民営化の際には、それまでの「スト権スト」による運休や、断続的な値上げによる国民の反発などを上手に利用した感があります。
ぴーち こんばんは!
私個人的な話で恐縮ですが
国鉄を民営化したことに関しては
それなりの成果があったのでしょうから、
異論はございませんが、
球団名は、「国鉄」が頭にあった方が
威厳があったのにな。。と
悔やまれてなりません(苦笑)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 球団名は、「国鉄」が頭にあった方が
> 威厳があったのにな。。と
> 悔やまれてなりません(苦笑)
なるほど、ファン的にはそういうお考えも十分にあり得ますね。
富国強兵や殖産興業の意味では、国が鉄道を管理する理由も十分にありましたが、これも時代の流れなのでしょうか…。
あれだけ大胆な改革をしようとすると相当な官僚の反発があったはずですが、上手くかわしていたんですかね?
国鉄の民営化の際には、それまでの「スト権スト」による運休や、断続的な値上げによる国民の反発などを上手に利用した感があります。
私個人的な話で恐縮ですが
国鉄を民営化したことに関しては
それなりの成果があったのでしょうから、
異論はございませんが、
球団名は、「国鉄」が頭にあった方が
威厳があったのにな。。と
悔やまれてなりません(苦笑)
> 威厳があったのにな。。と
> 悔やまれてなりません(苦笑)
なるほど、ファン的にはそういうお考えも十分にあり得ますね。
富国強兵や殖産興業の意味では、国が鉄道を管理する理由も十分にありましたが、これも時代の流れなのでしょうか…。