そんな折の昭和43(1968)年に、東京大学医学部や日本大学で紛争が起きると、これらを発端(ほったん)として全国で激しい大学紛争が起きました。特に東京大学では、昭和44(1969)年1月に安田講堂に立てこもった全学共闘会議(ぜんがくきょうとうかいぎ、別名を全共闘=ぜんきょうとう)などの学生が、警視庁の機動隊と衝突(しょうとつ)した安田講堂事件が発生しました。
その他にも、過激派(かげきは)活動家の新左翼らが、昭和44年10月の国際反戦デーで大衆行動を繰(く)り広げたり、昭和45(1970)年1月には、赤軍派が日本航空「よど号」をハイジャックして、北朝鮮への亡命事件を起こしたり(これを「よど号事件」といいます)しましたが、昭和45年6月に新安保条約が自動延長されると、反安保運動が急激に衰退(すいたい)しはじめたことで、過激派は次第に追いつめられ、昭和47(1972)年に浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)を起こすと、その力を失っていきました。
当時は高度経済成長によって日本国全体が豊かになってきていたことから、労働運動活動が低調化したほか、革新政党への支持が伸び悩(なや)んだことで、自民党による保守長期政権が続いていったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
若い力が結集すれば、たちまち国をも動かす程の
勢力になり得ますものね。
これほどまでに反対勢力が膨らんでしまうのも、確かに問題ではあるかと思いますが、
私が思うに、全てなんでも右倣えの現代の様な
考え方も
怖いものを感じます。反対する勢力というのは、
生かさず殺さずくらいの立場で
いてくれた方が、国としては安泰なのでは無いかと
思うのですが。
これも都合の良い話として捉えられてしまうかも知れませんがね^^
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若い力が結集すれば、たちまち国をも動かす程の
勢力になり得ますものね。
これほどまでに反対勢力が膨らんでしまうのも、確かに問題ではあるかと思いますが、
私が思うに、全てなんでも右倣えの現代の様な
考え方も
怖いものを感じます。反対する勢力というのは、
生かさず殺さずくらいの立場で
いてくれた方が、国としては安泰なのでは無いかと
思うのですが。
これも都合の良い話として捉えられてしまうかも知れませんがね^^