しかしながら、日米が対等の関係に近づいた新安保条約によって、アメリカの「核の傘(かさ)」に入るという選択を強(し)いられながらも、我が国の安全保障が飛躍的(ひやくてき)に高まったことが、その後の平和と繁栄(はんえい)をもたらしたのが歴史の真実なのです。
とはいえ、新安保条約批准(ひじゅん)以後の歴代自民党政権が、さらに大きな混乱を招きかねない憲法改正や再軍備といった重要な問題を棚上(たなあ)げして、経済成長に偏重(へんちょう)する政策(せいさく)に終始するようになるなど、安保闘争が保守陣営に与えた影響は大きなものがありました。
なお、安保闘争をめぐって意見が対立した社会党右派の西尾末広(ひしおすえひろ)が離党(りとう)し、昭和35(1960)年1月に民主社会党(のちの民社党)を結成しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですね。。
今、憲法改正をするべきでは無いと唱える人の
中には、これまで長い期間、変わらずに変えずに
守り通して来たものをいとも簡単に変えてしまってよいものだろうかと言う意見が多い様ですが、
確かにこれまで守り通して来た張本人は自民党であるので、政党には今回のこの問題の責任は
重く圧し掛かっているものと
思います。
出来れば、こういう問題は後手に回さずに
もっと早い段階で改正出来ていれば、混乱を招くことは無かったのではないかとさえ感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうなんですよね。
当時の大混乱を考えれば致し方ないとはいえ、岸首相の実行力があれば、憲法改正への道筋が開けたのではないか、と残念に思えてなりません。
とはいえ、憲法改正をしてはいけないことは絶対にないのですから、現内閣には粛々と進めてほしいですね。
そうですね。。
今、憲法改正をするべきでは無いと唱える人の
中には、これまで長い期間、変わらずに変えずに
守り通して来たものをいとも簡単に変えてしまってよいものだろうかと言う意見が多い様ですが、
確かにこれまで守り通して来た張本人は自民党であるので、政党には今回のこの問題の責任は
重く圧し掛かっているものと
思います。
出来れば、こういう問題は後手に回さずに
もっと早い段階で改正出来ていれば、混乱を招くことは無かったのではないかとさえ感じます。
当時の大混乱を考えれば致し方ないとはいえ、岸首相の実行力があれば、憲法改正への道筋が開けたのではないか、と残念に思えてなりません。
とはいえ、憲法改正をしてはいけないことは絶対にないのですから、現内閣には粛々と進めてほしいですね。