自主外交路線をめざし、対ソ問題の解決に取り組んでいた鳩山一郎首相は、第3次内閣の時の昭和31(1956)年10月に自らがモスクワを訪問し、ソ連のブルガーニン首相との間で日ソ共同宣言に調印し、国交を回復させました。
日ソ共同宣言によって、他の東欧諸国(とうおうしょこく)との国交が正常化したほか、ソ連が日本の国連加盟に反対しなくなったので、同年12月に我が国は国際連合への加盟が実現しました。
しかしながら、日ソ共同宣言では領土問題に関して意見の一致を見出(みいだ)すことができなかったため、我が国固有の領土である国後島(くなしりとう)・択捉島(えとろふとう)・歯舞諸島(はぼまいしょとう)・色丹島(しこたんとう)のいわゆる北方領土はいまだに返還されておらず、また、現在のロシアとのあいだには「平和条約」が締結されていません。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーちから黒田裕樹さんへお返事です^^ こんばんは!
鳩山さん、後一押しが足りなかったのでしょうかね・・
それにしても、何処の国も
またいづれの時代も、こと領土問題となると
途端に反旗を翻したり、問題を反故しようとしたりと
折角掴みかけた手元から
するりと逃げ落ちてしまうものですねぇ・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 普段は何かといがみ合っていても、「共通の敵」が出現すると、一致団結してことにあたる、ということがよくありますよね。
団結力は時として大きな力を産み出しますが、それが必ずしも国益にかなうとは限らない、のが難点でもあります。
鳩山さん、後一押しが足りなかったのでしょうかね・・
それにしても、何処の国も
またいづれの時代も、こと領土問題となると
途端に反旗を翻したり、問題を反故しようとしたりと
折角掴みかけた手元から
するりと逃げ落ちてしまうものですねぇ・・
団結力は時として大きな力を産み出しますが、それが必ずしも国益にかなうとは限らない、のが難点でもあります。