吉田の後を受けて首相になったのは、改進党と自由党の一部が結成して誕生した、日本民主党の総裁を務(つと)めていた鳩山一郎(はとやまいちろう)でした。鳩山内閣は、自主憲法の制定と自主外交による領土回復、自衛軍の創設などを唱え、自主独立路線を基本として、翌昭和30(1955)年2月に行われた衆議院総選挙に臨(のぞ)みました。
しかし、総選挙では鳩山率(ひき)いる日本民主党が第一党となり、第2次鳩山内閣が成立したものの、憲法改正や自主防衛に反対する革新勢力が衆議院全体の3分の1以上を占(し)めたため、念願だった憲法改正は事実上不可能となってしまいました。
なぜなら、日本国憲法第96条によって、憲法改正のためには衆議院・参議院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成で発議し、さらに国民投票で過半数の賛成を得なければならないからです。結果的に「改憲阻止(かいけんそし)」に成功した革新勢力でしたが、それまでの流れは決して一筋縄(ひとすじなわ)ではありませんでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
一度決められ、制定されたことを
改正するのは大変だと思います。
ましてや、憲法となると
仰るとおり、一筋縄ではいかない
でしょうね・・・
オバrev おぉ!55年体制真っ只中に育った私としては、それがどういう経緯で作られたか、非常に興味あります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 憲法制定から間もない当時(昭和30年)であれば、速やかな改正も可能だったかもしれません。
それを阻んだ革新勢力の動向もしっかりおさえる必要があるでしょう。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > おぉ!55年体制真っ只中に育った私としては、それがどういう経緯で作られたか、非常に興味あります。
私もその世代ですからね(笑)。
自由民主党の誕生をきっかけを作ったのは…。
一度決められ、制定されたことを
改正するのは大変だと思います。
ましてや、憲法となると
仰るとおり、一筋縄ではいかない
でしょうね・・・
それを阻んだ革新勢力の動向もしっかりおさえる必要があるでしょう。
私もその世代ですからね(笑)。
自由民主党の誕生をきっかけを作ったのは…。