しかし、その一方で、1955(昭和30)年にはスイスのジュネーブで、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の各首脳によって、軍縮やヨーロッパの安全保障、あるいは東西間の交流の拡大などを協議したジュネーブ四巨頭会談が行われました。
ジュネーブ四巨頭会談そのものは具体的な成果に乏(とぼ)しかったものの、米ソによるこうした流れは、両国間の緊張緩和(きんちょうかんわ)への期待を高めることになりました。なお、これらの動きは今日では「雪どけ」と呼ばれています。
米ソの「雪どけ」を受けて、東アジアでも緊張緩和の動きが進みました。1954(昭和29)年には、中華人民共和国の周恩来(しゅうおんらい)首相がインドのネール首相と会談を行い、主権尊重・相互不可侵・内政不干渉・平等互恵(ごけい)・平和共存の平和五原則を確認しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
内政不干渉。。これはイイですね!
日本は他のアジアの国と
平和五原則なる協定を結ばなかったのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 内政不干渉は確かに良いのですが、この後の中国がそれを守ったかというと…。
60年前といえば、中国も誕生から間もなかったですからね。
内政不干渉。。これはイイですね!
日本は他のアジアの国と
平和五原則なる協定を結ばなかったのでしょうか?
60年前といえば、中国も誕生から間もなかったですからね。