その後、戦争終結によって働き手が増えたことや、生産技術の向上などによって、コメの生産が史上空前の豊作を繰(く)り返したことで、昭和30(1955)年頃までにはコメの自給が可能となり、食糧難はようやく克服されました。
また、特需景気(とくじゅけいき)を受けて我が国が経済面での国際社会の復帰を果たしたこともあって、国民の個人所得が増加して消費水準も向上し、物価も安定したほか、公営住宅の供給が進んだことで、住宅事情も改善され始めました。
昭和31(1956)年度に発行された我が国の経済白書において、政府は「もはや戦後ではない」と宣言し、当時の国民にもこうした意識が広がったこともあって、昭和30(1955)年~32(1957)年には「神武天皇(じんむてんのう)以来」といわれた神武景気を迎えたのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev そうなんです。昭和30年以降に生まれた我々と29年以前に生まれた先輩とは、その差僅かに数年なんですが明らかに雰囲気が違います。
昭和20年代はまだ戦後を引きずっていましたが、30年以降は戦後処理も終わって、日本が新たな旅立ちをしたようなもんでしょうか?
その分、昭和29年以前生まれの人よりも甘い!です(^_^;)
厳しさや苦労をあまり経験せず、むしろ高度経済成長の中に育ったので、本当の苦しさを知らないし、戦争も知らないです。
親もあまりそのことを話してくれなかったです。
でもここに来て、黒田先生の歴史講座に触れながら、やはり我々の祖先が必死で守ってくれた日本の歴史について、真実を知っておくべきだと思っています。
ぴーち おはようございます!
日本もこの頃が急成長をした頃だったんですね。
植物で言えば、芽が出たと思ったら
急激に茎も葉も大きくなり、ぐんぐんと
空に向かって伸びていく様な。
特需やアメリカからの援助が更にその成長を
促す栄養剤となって。
今はそのピークを過ぎて、新たな世代へ引継ぎ為の
養分となるため、色々な犠牲を担う時期に来ているのかも・・知れませんね(^^ゞ
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
私たちの生まれた時代と我が国の長い歴史とのつながりを深く知るためにも、戦後以降の歴史について私たちはもっと知らなければならないと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 急成長は素晴らしいことですが、その後のケアはもっと重要ですからね。
将来につけを残さないためにも、今の私たちの世代でできることはしっかりと果たさねばと思います。
昭和20年代はまだ戦後を引きずっていましたが、30年以降は戦後処理も終わって、日本が新たな旅立ちをしたようなもんでしょうか?
その分、昭和29年以前生まれの人よりも甘い!です(^_^;)
厳しさや苦労をあまり経験せず、むしろ高度経済成長の中に育ったので、本当の苦しさを知らないし、戦争も知らないです。
親もあまりそのことを話してくれなかったです。
でもここに来て、黒田先生の歴史講座に触れながら、やはり我々の祖先が必死で守ってくれた日本の歴史について、真実を知っておくべきだと思っています。
日本もこの頃が急成長をした頃だったんですね。
植物で言えば、芽が出たと思ったら
急激に茎も葉も大きくなり、ぐんぐんと
空に向かって伸びていく様な。
特需やアメリカからの援助が更にその成長を
促す栄養剤となって。
今はそのピークを過ぎて、新たな世代へ引継ぎ為の
養分となるため、色々な犠牲を担う時期に来ているのかも・・知れませんね(^^ゞ
私たちの生まれた時代と我が国の長い歴史とのつながりを深く知るためにも、戦後以降の歴史について私たちはもっと知らなければならないと思います。
将来につけを残さないためにも、今の私たちの世代でできることはしっかりと果たさねばと思います。