しかし、冷静になって考えてみれば、皇太子としての身分が保証されている恒貞親王が、わざわざ東国まで行って謀反を起こすことに何の益もありません。一方、新たに皇太子に立てられた道康親王の母は、藤原冬嗣の子である藤原良房(ふじわらのよしふさ)の妹でした。つまり、承和の変は藤原良房らが自己の血を引く道康親王に皇位を継承させるためにでっち上げられた可能性が高いのです。
その後、道康親王が即位されて第55代の文徳天皇(もんとくてんのう)となられると、藤原良房は文徳天皇と自己の娘である明子(あきらけいこ)との間に産まれたばかりの惟仁親王(これひとしんのう)を皇太子に立てました。生後わずか数ヶ月の赤ん坊が皇太子になったのです。
良房は857年に太政大臣(だじょうだいじん)となり、858年に文徳天皇が崩御されて9歳の惟仁親王が第56代の清和天皇(せいわてんのう)として即位されると、天皇の外戚(がいせき、皇室の母系の一族のこと)として政治の実権を完全に握りました。
余談ですが、承和の変の首謀者とされる伴健岑はかつての大豪族である大伴氏(おおともし)の一族です。淳和天皇のご即位前のお名前が大伴親王であったため、遠慮して改姓していました。また、同じ首謀者であるとされる橘逸勢が嵯峨天皇、空海とともに三筆(さんぴつ)と称された人物であることは以前に書いたとおりです。
尚、清和天皇の治世中には貞観格式(じょうがんきゃくしき)がつくられ、866年には最澄に伝教大師(でんぎょうだいし)の名が贈られました。また、清和天皇の子孫の多くが臣籍降下して貴族となり、彼らは後に「清和源氏」(せいわげんじ)と呼ばれました。そして、その一族の中から後に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が誕生しています。




いつも有難うございます。
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海豚 おぉーっと・・・ここらへんは知ってる名前が空海と最澄と源頼朝ぐらいしか・・・ry
まぁ、まだまだ知らない事は沢山あるという事ですね(苦笑
ぴーち こんばんは!
生まれたばかりの赤ん坊が皇太子にですか(@@
人として生まれたのなら、自分の意思が無くても
周りの思惑に利用されてしまったんですね。
この方が皇太子としては最年少記録になる訳ですか?
それでは、応援凸
海豚さんへ
黒田裕樹 > おぉーっと・・・ここらへんは知ってる名前が空海と最澄と源頼朝ぐらいしか・・・ry
> まぁ、まだまだ知らない事は沢山あるという事ですね(苦笑
そうですねぇ…このあたりは高校で学ぶ範囲がほとんどですからね。
いずれは勉強する範囲ですから、藤原氏が政治の実権を我が手に握るまでの流れだけでも理解しておきましょう。必ず役に立ちますよ(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人として生まれたのなら、自分の意思が無くても
> 周りの思惑に利用されてしまったんですね。
現代でも良くある話ですね。地位などの関係で仕方がない面もありますが…。
> この方が皇太子としては最年少記録になる訳ですか?
清和天皇は生後8ヶ月で皇太子となられていますが、奈良時代の聖武天皇の子の基皇子は生後1ヶ月で皇太子ですから、こちらの方が早いですね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-171.html
いずれにせよ、いわゆる「オムツの取れない」皇太子というのは極めて珍しいですね。
紗那 とうとう藤原氏の台頭ですね!
まぁ、これくらいなら戦いが無くても我慢しよう。うん。
しかし、藤原氏も権力を握るためにいろいろやってるんですね・・・・・・
生まれたばかりの子を皇太子にしたりとか。
そういえば空海は金剛峰寺ですか?で、生きてるって言う設定なんですね。なんか、この前塾の先生が言ってました。
紗那さんへ
黒田裕樹 > とうとう藤原氏の台頭ですね!
> まぁ、これくらいなら戦いが無くても我慢しよう。うん。
戦いがなくても、歴史は結構面白いものでしょう?(^^♪
> しかし、藤原氏も権力を握るためにいろいろやってるんですね・・・・・・
> 生まれたばかりの子を皇太子にしたりとか。
権力を握るためには手段を選ばないわけです。
現代でもよくある話かもしれませんが…(^^ゞ
> そういえば空海は金剛峰寺ですか?で、生きてるって言う設定なんですね。なんか、この前塾の先生が言ってました。
はい、そのとおりです。私のブログでも最近紹介しましたよ。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-211.html
参議以上の議政官は各氏族に1人 なぜ大伴親王は大伴と名付けられたのでしょうか。私は藤原氏による大伴氏への嫌がらせだと思うのですが、黒田さんはどうお考えですか。後世の堂上公家の大半が藤原氏であるのが残念でなりません。大伴氏や石上氏(物部)の氏上が清華家クラスに残っていれば、我が国ももう少し風通しの良い風土になったのかなと思います。
参議以上の議政官は各氏族に1人さんへ
黒田裕樹 確かに藤原氏の力が動いた可能性もあり得ますね。
平安時代は、藤原氏の天下への流れが良く見えてきます。もっとも、その藤原氏もやがては時代の波に押し流されるのですが…。
まぁ、まだまだ知らない事は沢山あるという事ですね(苦笑
生まれたばかりの赤ん坊が皇太子にですか(@@
人として生まれたのなら、自分の意思が無くても
周りの思惑に利用されてしまったんですね。
この方が皇太子としては最年少記録になる訳ですか?
それでは、応援凸
> まぁ、まだまだ知らない事は沢山あるという事ですね(苦笑
そうですねぇ…このあたりは高校で学ぶ範囲がほとんどですからね。
いずれは勉強する範囲ですから、藤原氏が政治の実権を我が手に握るまでの流れだけでも理解しておきましょう。必ず役に立ちますよ(^_^)v
> 周りの思惑に利用されてしまったんですね。
現代でも良くある話ですね。地位などの関係で仕方がない面もありますが…。
> この方が皇太子としては最年少記録になる訳ですか?
清和天皇は生後8ヶ月で皇太子となられていますが、奈良時代の聖武天皇の子の基皇子は生後1ヶ月で皇太子ですから、こちらの方が早いですね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-171.html
いずれにせよ、いわゆる「オムツの取れない」皇太子というのは極めて珍しいですね。
まぁ、これくらいなら戦いが無くても我慢しよう。うん。
しかし、藤原氏も権力を握るためにいろいろやってるんですね・・・・・・
生まれたばかりの子を皇太子にしたりとか。
そういえば空海は金剛峰寺ですか?で、生きてるって言う設定なんですね。なんか、この前塾の先生が言ってました。
> まぁ、これくらいなら戦いが無くても我慢しよう。うん。
戦いがなくても、歴史は結構面白いものでしょう?(^^♪
> しかし、藤原氏も権力を握るためにいろいろやってるんですね・・・・・・
> 生まれたばかりの子を皇太子にしたりとか。
権力を握るためには手段を選ばないわけです。
現代でもよくある話かもしれませんが…(^^ゞ
> そういえば空海は金剛峰寺ですか?で、生きてるって言う設定なんですね。なんか、この前塾の先生が言ってました。
はい、そのとおりです。私のブログでも最近紹介しましたよ。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-211.html
平安時代は、藤原氏の天下への流れが良く見えてきます。もっとも、その藤原氏もやがては時代の波に押し流されるのですが…。