北家は藤原四兄弟の房前(ふささき)の子孫で、810年に起きた薬子の変の際に、嵯峨天皇の秘書長官である蔵人頭(くろうどのとう)として活躍した藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の一族です。なぜ藤原北家が台頭することになったのでしょうか。その裏には、皇室のややこしい後継問題がありました。
嵯峨天皇はご自身の皇子や皇女を臣籍降下(しんせきこうか、皇族の身分を離れて一般の貴族になること)させた後に、実子の正良親王(まさらしんのう)ではなく、実弟の大伴親王(おおともしんのう)に譲位されました。第53代の淳和天皇(じゅんなてんのう)の誕生です。ちなみに、淳和天皇は在位中に令義解(りょうのぎげ)の作成を命じられています。
実子ではなく実弟であるご自身に譲位された嵯峨上皇にご遠慮されたのか、淳和天皇は実子の恒貞親王(つねさだしんのう)ではなく、先述の正良親王に譲位されました。こうして正良親王は第54代の仁明天皇(にんみょうてんのう)となられましたが、今度は仁明天皇が淳和上皇にご恩をお感じになって、実子の道康親王(みちやすしんのう)ではなく、恒貞親王を皇太子に立てられました。
いわば嵯峨天皇と淳和天皇との間で、キャッチボールのように交互に皇位の継承が行われたわけですが、本来の原則である実子に継承させない方法にはやはり無理がありました。結局、そのスキをついて「ある人物」が政治の実権を握ることになるのです。




いつも有難うございます。
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座布団1枚!
オバrev おぉ、まさに皇位継承のキャッチボールですね。
黒田先生、う・ま・い~!
山田くん、座布団1枚!!
やはり政権運営も、緊張感がなくなって形式的になると崩壊していくのかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > おぉ、まさに皇位継承のキャッチボールですね。
> 黒田先生、う・ま・い~!
> 山田くん、座布団1枚!!
お蔭様で(?)お尻が痛くなくなりました(笑)。
有難うございますm(_ _)m
> やはり政権運営も、緊張感がなくなって形式的になると崩壊していくのかもしれませんね。
仰るとおりかもしれません。ただ、新しい刺激が果たして国民のためになるのかどうかが、今後のカギを握ると思います。
黒田先生、う・ま・い~!
山田くん、座布団1枚!!
やはり政権運営も、緊張感がなくなって形式的になると崩壊していくのかもしれませんね。
> 黒田先生、う・ま・い~!
> 山田くん、座布団1枚!!
お蔭様で(?)お尻が痛くなくなりました(笑)。
有難うございますm(_ _)m
> やはり政権運営も、緊張感がなくなって形式的になると崩壊していくのかもしれませんね。
仰るとおりかもしれません。ただ、新しい刺激が果たして国民のためになるのかどうかが、今後のカギを握ると思います。