その後、空海は835年に死去し、921年には醍醐天皇(だいごてんのう)によって弘法大師(こうぼうだいし)の名が贈られましたが、高野山においては、空海はこの世を救うために留身(るしん、身をこの世に留めること)しており、「弘法大師様は生きている」ことになっています。このため、高野山では今でも毎朝弘法大師のところまで食事を運んでいるそうです。
多くの弟子を育てるとともに、その後の新しい仏教の基本となった天台宗の最澄とは対照的に、空海は自身の存在そのものが信仰の対象になりました。一般的には本名の空海よりも「弘法大師」としての名が広く知られており、毎年全国で五本の指に入る初詣客を集める神奈川県川崎市の平間寺(へいけんじ)は、通称の「川崎大師」(かわさきだいし)の方が有名になっています。
また、空海が書道の達人であることは先述しましたが、空海による書は大師流(だいしりゅう)と呼ばれて後世にまで深い影響を与えました。そのためか、ことわざとして「弘法にも筆の誤り」(=どんな名人にも間違いはあると言う意味)や「弘法筆を選ばず」(=本当に上手な人は道具に頼ったりしない)が現代でも残っています。
余談ですが、実際の空海は慎重に筆を選んでいたという説もあります。また、「弘法にも筆の誤り」は、空海が平安京の応天門の額を書いた際に、「応」の一番上の点の字を書き忘れたまま門に掲げられてしまったという事実が由来です。ちなみに間違いに気づいた空海は、あわてることなく筆を額に投げつけて点を打ったそうです。名人は書き直し方も違うものなんですね。




いつも有難うございます。
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オバrev 空海、空と海という何て雄大な名前だろうと思います。
最澄もどこまでも澄み渡っているという素晴らしい名前ですね。
それにしても、想像を絶する偉大な人ですね。いったいどれだけ厳しい修行や勉強をしたんでしょうか。
現代に生きておられたら、是非お会いしたいです。
ちょうど同じ時期に、最澄と空海が存在しましたけど、気になるのは二人は仲が良かったのか悪かったのか。
おそらく二人ともそういう次元のことは越えていたでしょうね。
スカイラインV35 最澄や空海だけではないでしょうが、当時の航海は正に命懸け。仏教というと”静”などをイメージしてしまいますが、気概も高い次元にあったのでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かに素晴らしい名前ですし、偉大な人だけにお会いしたいとは思いますが、あまりにも偉大すぎてかえって失礼になってしまいそうです(^^ゞ
最澄と空海は同じ遣唐使の留学僧として面識がありました。多忙の身であった最澄は空海よりも密教の知識が十分に得られなかったので、密教の経典をしばしば空海から借用していました。最澄の求めを最初のうちは応じていた空海でしたが、回数の多さにやがては拒絶します。時代のうねりの中で、新しい仏教を目指そうとした最澄と、あくまで密教にこだわった空海との間には、いつしか越えられない溝が出来ていたのでしょう。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 最澄や空海だけではないでしょうが、当時の航海は正に命懸け。仏教というと”静”などをイメージしてしまいますが、気概も高い次元にあったのでしょうね。
私もそう思います。別記事のコメントにも書きましたが、最澄と空海が遣唐使として唐に渡った際、彼らを乗せた船以外はすべて遭難してしまったという厳しい現実がありますからね。一つしかない生命を差し出してでも得なければならないものがある。最澄と空海の気概は、現代人がもっとも忘れてしまっているものなのかもしれません。
けん爺ちゃん こんばんは(^ワ^)
空海の意外なエピソード、勉強になりました。
何て豪快な修正だろう(笑)
弘法大師として、全国に様々な伝説があるようで
熊本でも、独鈷山やその他様々な伝承があるようです。
教義よりも、人が信仰の対象になるという箇所…
社会主義におけるスターリンや毛沢東、某近隣国のファミリーを
思い起こしました…。
MAHHYA うわあ、筆を投げて直したとは・・・。
すごいですねー、初めて知りました!
さすが、今でも厚い信仰を集める弘法大師様です!
てっちゃん中尉 なるほど、弘法も筆の誤りにはそんな話があったんですね。初めて知りました。川崎大師ですか、神奈川に住んでいる分際でまだ行ったことがないですね。きっと行ったら何か発見が出来そうですね。夏休みが終わる前に行って見たいと思います。
話は変わり、リンクの件になりますが、相互リンクをしていただきありがとうございます。若輩ながら、これからもがんばります。今後ともどうぞよろしくお願いします。
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > 空海の意外なエピソード、勉強になりました。
> 何て豪快な修正だろう(笑)
> 弘法大師として、全国に様々な伝説があるようで
> 熊本でも、独鈷山やその他様々な伝承があるようです。
確かに豪快です(笑)。
仰るとおり、空海の伝説は全国にありますね。この講座ではさすがに全部は紹介しきれませんが…。
> 教義よりも、人が信仰の対象になるという箇所…
> 社会主義におけるスターリンや毛沢東、某近隣国のファミリーを
> 思い起こしました…。
「人々から自然な崇拝を集めた」空海と、「自分を神格化するよう強制した」スターリンなど。
下からなのか、上からなのかによって、両者は似て非なるものでもありますね。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 ことわざ自体は知っていても、その由来まではなかなか手が届かないものです。
今回のようなエピソードを知ることによって、国語と歴史の両方の知識を一度に得られるのではないかと考えております。
確かに「さすがは大師様」ですよね(^_^)v
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > なるほど、弘法も筆の誤りにはそんな話があったんですね。初めて知りました。川崎大師ですか、神奈川に住んでいる分際でまだ行ったことがないですね。きっと行ったら何か発見が出来そうですね。夏休みが終わる前に行って見たいと思います。
私も川崎大師には行ったことがありません。東京へ行くことは何度かあるのですから、途中下車するのも悪くはないですよね。
> 話は変わり、リンクの件になりますが、相互リンクをしていただきありがとうございます。若輩ながら、これからもがんばります。今後ともどうぞよろしくお願いします。
丁寧なお言葉、有難うございます。お互いにブログを盛り上げていければいいですね。
最澄もどこまでも澄み渡っているという素晴らしい名前ですね。
それにしても、想像を絶する偉大な人ですね。いったいどれだけ厳しい修行や勉強をしたんでしょうか。
現代に生きておられたら、是非お会いしたいです。
ちょうど同じ時期に、最澄と空海が存在しましたけど、気になるのは二人は仲が良かったのか悪かったのか。
おそらく二人ともそういう次元のことは越えていたでしょうね。
最澄と空海は同じ遣唐使の留学僧として面識がありました。多忙の身であった最澄は空海よりも密教の知識が十分に得られなかったので、密教の経典をしばしば空海から借用していました。最澄の求めを最初のうちは応じていた空海でしたが、回数の多さにやがては拒絶します。時代のうねりの中で、新しい仏教を目指そうとした最澄と、あくまで密教にこだわった空海との間には、いつしか越えられない溝が出来ていたのでしょう。
私もそう思います。別記事のコメントにも書きましたが、最澄と空海が遣唐使として唐に渡った際、彼らを乗せた船以外はすべて遭難してしまったという厳しい現実がありますからね。一つしかない生命を差し出してでも得なければならないものがある。最澄と空海の気概は、現代人がもっとも忘れてしまっているものなのかもしれません。
空海の意外なエピソード、勉強になりました。
何て豪快な修正だろう(笑)
弘法大師として、全国に様々な伝説があるようで
熊本でも、独鈷山やその他様々な伝承があるようです。
教義よりも、人が信仰の対象になるという箇所…
社会主義におけるスターリンや毛沢東、某近隣国のファミリーを
思い起こしました…。
すごいですねー、初めて知りました!
さすが、今でも厚い信仰を集める弘法大師様です!
話は変わり、リンクの件になりますが、相互リンクをしていただきありがとうございます。若輩ながら、これからもがんばります。今後ともどうぞよろしくお願いします。
> 何て豪快な修正だろう(笑)
> 弘法大師として、全国に様々な伝説があるようで
> 熊本でも、独鈷山やその他様々な伝承があるようです。
確かに豪快です(笑)。
仰るとおり、空海の伝説は全国にありますね。この講座ではさすがに全部は紹介しきれませんが…。
> 教義よりも、人が信仰の対象になるという箇所…
> 社会主義におけるスターリンや毛沢東、某近隣国のファミリーを
> 思い起こしました…。
「人々から自然な崇拝を集めた」空海と、「自分を神格化するよう強制した」スターリンなど。
下からなのか、上からなのかによって、両者は似て非なるものでもありますね。
今回のようなエピソードを知ることによって、国語と歴史の両方の知識を一度に得られるのではないかと考えております。
確かに「さすがは大師様」ですよね(^_^)v
私も川崎大師には行ったことがありません。東京へ行くことは何度かあるのですから、途中下車するのも悪くはないですよね。
> 話は変わり、リンクの件になりますが、相互リンクをしていただきありがとうございます。若輩ながら、これからもがんばります。今後ともどうぞよろしくお願いします。
丁寧なお言葉、有難うございます。お互いにブログを盛り上げていければいいですね。