ソ連によって陸路を封鎖された西ベルリンでしたが、アメリカやイギリスを中心とする西側諸国が徹底した空輸作戦を展開したため、封鎖そのものは翌1949(昭和24)年5月に解除されました。
しかし、ベルリン封鎖によってドイツの分断が決定的となり、同1949年にドイツは自由主義国家のドイツ連邦共和国(=西ドイツ)と、共産主義国家のドイツ民主共和国(=東ドイツ)とに分割されました。
また、ソ連からの軍事的脅威に共同で対抗するため、1949年4月に西側諸国は北大西洋条約機構(=NATO)を結成し、アメリカ・カナダ・イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・イタリア・デンマーク・ノルウェー・アイスランド・ポルトガルの12ヵ国(後にギリシャ・トルコ・西ドイツが加盟)による集団安全保障体制が敷(し)かれました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち おはようございます!
いわゆる「ベルリンの壁」ですね。
やはり大きな勢力に対しては、
どうしても単独で戦うには限度があるので
諸外国のこうした協力、一致団結は欠かせませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「ベルリンの壁」そのものは1961年にできましたが、このベルリン封鎖によって、事実上のドイツ分裂状態になりましたからね。
当時の東西陣営による小競り合いは、その後の冷戦に向けての深刻な対立を生むことになりました。
いわゆる「ベルリンの壁」ですね。
やはり大きな勢力に対しては、
どうしても単独で戦うには限度があるので
諸外国のこうした協力、一致団結は欠かせませんね。
当時の東西陣営による小競り合いは、その後の冷戦に向けての深刻な対立を生むことになりました。