ソ連は1947(昭和22)年にコミンフォルム(=共産党・労働者党情報局)を結成し、ルーマニアやアルバニア・ハンガリー・ブルガリア・ポーランド・チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)など、戦後に次々と誕生した共産主義国家を従えて、東欧圏(とうおうけん)とも呼ばれる共産主義陣営を形成しました。
ソ連のこうした動きに対して、イギリスのチャーチルが、1946(昭和21)年に「鉄のカーテン演説」を行い、ソ連の脅威(きょうい)に対する警戒(けいかい)を訴(うった)え、自由主義諸国の協力を呼びかけました。
さらに翌1947年には、アメリカのトルーマン大統領が「共産主義的な全体主義の拡張に対抗するには、それと戦う自由な諸国民を援助することをアメリカの政策とすべきである」と議会で述べ、自由主義陣営の中核として、ソ連の「封(ふう)じ込め」を宣言しました。これを「トルーマン=ドクトリン」といいます。
また、世界で共産主義がはびこる背景の一つとして「貧困」が挙げられると判断したトルーマンは、1947(昭和22)年6月にヨーロッパの経済復興資金として、3年間に120億ドルもの巨額の経済援助を行うことを決定しました。これは「マーシャル=プラン」と呼ばれています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
東西冷戦に原因は、ソ連がその謀略能力、調略能力が巧みだったことも大きいですが
やはり、国際社会におけるアメリカのリーダーシップ力(例:トルーマン)の欠如も大きかったと思います。
(有能なリーダーなら、物事を部分ではなく、大局から、観ます。)
アメリカに対して、好意的な国がもっと大きかったら、パワーバランスは、変わっていたと思います。
世の中は、パワーバランスで成り立っているということを考えると、
アメリカは、日本を叩き過ぎて、日本との戦いにエネルギーを投入し過ぎたと思います。
なぜなら、
アメリカが日本潰しにエネルギーを消耗している間にソ連の世界での影響力を膨張させたからです。
。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
アメリカの失策については今後も追及することになります。
ぴーち おはようございます!
確かにアメリカは軍事力に関しては
世界一かも知れませんが、現在の様に
いわゆる「戦争疲れ」を起こして疲弊している
事を考えると、戦争で勝ち得たものというのは
せつな的な抑揚であって、必ずしも
継続的に得られる平穏ではないのかも知れません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、戦争に関してはそのとおりかもしれませんね。
まして戦争をしたのではなく、「させられた」のであれば尚更かもしれませんが…。
青田です。
東西冷戦に原因は、ソ連がその謀略能力、調略能力が巧みだったことも大きいですが
やはり、国際社会におけるアメリカのリーダーシップ力(例:トルーマン)の欠如も大きかったと思います。
(有能なリーダーなら、物事を部分ではなく、大局から、観ます。)
アメリカに対して、好意的な国がもっと大きかったら、パワーバランスは、変わっていたと思います。
世の中は、パワーバランスで成り立っているということを考えると、
アメリカは、日本を叩き過ぎて、日本との戦いにエネルギーを投入し過ぎたと思います。
なぜなら、
アメリカが日本潰しにエネルギーを消耗している間にソ連の世界での影響力を膨張させたからです。
。
アメリカの失策については今後も追及することになります。
確かにアメリカは軍事力に関しては
世界一かも知れませんが、現在の様に
いわゆる「戦争疲れ」を起こして疲弊している
事を考えると、戦争で勝ち得たものというのは
せつな的な抑揚であって、必ずしも
継続的に得られる平穏ではないのかも知れません。
まして戦争をしたのではなく、「させられた」のであれば尚更かもしれませんが…。