彼は人生において何度も生命の危機に直面しましたが、奇跡的に生きながらえた後に、我が国を終戦へと導くという一大事業を達成することになったのですが、それはまさに「目に見えぬ大きな力」がもたらした運命と言えるものでもありました。
彼の人生をたどることで、私たちは「国家のために忠誠を誓うとともに、長い歴史と伝統を誇る我が国の将来を案じて、次世代へとタスキをつなごうとする姿勢に、年齢などは関係ない」という「当然のこと」に思いを馳(は)せることができないでしょうか。
振り返れば、戦後75年以上のあいだ、我が国には色々なことがありました。しかし、もし鈴木貫太郎が混迷続く我が国の現状を見れば、彼はいったい何を思うでしょうか。彼自身が命がけで終戦へと導いただけの値打ちが今の我が国にあると、心の底から満足してくださるでしょうか。
鈴木貫太郎の生き様を学ぶことで、私たち日本国民が今すぐにでも「為(な)さねばならないこと」が自然と見えてくるのではないか。私にはそう思えてならないのです。
(※第41回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[4月27日]からは通常の更新[=昭和時代・戦後]に戻ります)





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ぴーち こんばんは!
そうですね。。
確かに人間の性というのは元々勝手なもので
平和で何事もなければ、変化を求める気持ちが働き、激動の世の中が続けば、何事も無い平穏な日々を願ったりするものですよね。
この習性は変えられないとするならば、せめて
現代の日本がこれまでになった事の発端には
貫太郎氏の様な人物がいたからこそだと感謝することを認識し、
また彼の功績に思いを馳せることを忘れてはならないのだと
思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私が今回の講演で申し上げたかったのは、鈴木貫太郎首相らが命がけで支えてきた我が国の歴史と伝統を、それを意識することなく我々の代で潰してしまって良いのか、ということです。
歴史を振り返ることは、私たちの未来を明るくするために努力することでもあるのですから。
そうですね。。
確かに人間の性というのは元々勝手なもので
平和で何事もなければ、変化を求める気持ちが働き、激動の世の中が続けば、何事も無い平穏な日々を願ったりするものですよね。
この習性は変えられないとするならば、せめて
現代の日本がこれまでになった事の発端には
貫太郎氏の様な人物がいたからこそだと感謝することを認識し、
また彼の功績に思いを馳せることを忘れてはならないのだと
思います。
歴史を振り返ることは、私たちの未来を明るくするために努力することでもあるのですから。