我が国の条件に対して、連合国側は8月12日に回答を伝えましたが、その内容は「日本の政治形態は国民の自由な意思によって決められ、また天皇の地位や日本政府の統治権は、連合軍最高司令官に従属(じゅうぞく)する」というものでした。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受けいれるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近な現状では、もはや残された時間はありませんでした。
そこで、貫太郎は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。





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ぴーち こんばんは!
まさしく、苦渋の決断だったんですね。
それにしても、こういう場面での
素早い決断というのは、これまでに培われた
経験がいかに実のあるものであったのかが
判りますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の長い歴史で培われた経験における決断でもありました。
それだけに、昭和天皇のご苦悩が拝察されます…。
まさしく、苦渋の決断だったんですね。
それにしても、こういう場面での
素早い決断というのは、これまでに培われた
経験がいかに実のあるものであったのかが
判りますね。
それだけに、昭和天皇のご苦悩が拝察されます…。