次に7歳か8歳の頃、釣りをしていた貫太郎少年が不注意から深い水たまりの中に吸い込まれてしまいました。このとき彼は泳ぎを知らなかったのですが、たまたま厚着をしていたことが幸いし、暴れているうちに衣服の浮力で頭が水面に出たことで、一所懸命もがいた後にどうにか岸に這(は)い上がることができました。
貫太郎の危機は海軍入隊後も続き、明治29(1896)年には海防艦(かいぼうかん)から真っ逆さまに海に落ちたり、昭和37(1904)年の日露戦争の冬には狭い艦内で炭火を起こしたことから一酸化炭素中毒を起こして倒れたりと、彼はその生涯で何度も九死に一生を得る機会に恵まれました。
そんな「運の強い」彼だったからこそ、後述する「二・二六事件」で重傷を負いながら奇跡的に生還したり、亡国の危機に直面した我が国を終戦に導いたりしたような離れ業をやってのけたのかもしれません。大器晩成とは、まさに彼のような人のことを言うのでしょう。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど!確かに強運の持ち主ですね!
きっと自分の天命はこういう事であるという
事を悟らせる為に
起こるべくして起こった現象なのでは・・と
思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思えますね。
運命というのは本当に存在するのではないか、と鈴木貫太郎の人生を振り返ると確信できます。
なるほど!確かに強運の持ち主ですね!
きっと自分の天命はこういう事であるという
事を悟らせる為に
起こるべくして起こった現象なのでは・・と
思いました。
運命というのは本当に存在するのではないか、と鈴木貫太郎の人生を振り返ると確信できます。