こうして信長を討ち取って、天下取りにその名を挙げた光秀でしたが、その後の展望については現代でも不明のままです。わずか10日あまりで死んでしまったゆえの事情もありますが、それ以上に、光秀にとっては「身内」ともいえる武将の裏切りが大きく響きました。
光秀には先述の細川藤孝という親友がいました。藤孝の息子である細川忠興(ほそかわただおき)は、光秀の娘である珠(たま)を嫁に迎えており、光秀は藤孝が当然自分の味方をしてくれるものと信じていました。
しかし、光秀の期待に反して藤孝・忠興父子は光秀の誘いを断り、藤孝は髪を切って出家し、忠興は珠を領国内に閉じ込めてしまったのでした。驚いた光秀は自筆の書状で説得しましたが、受けいれられませんでした。
また、光秀と縁の深かった武将である筒井順慶(つついじゅんけい)も、光秀の誘いに対して色よい返答をせず、光秀は京都の洞ヶ峠 (ほらがとうげ)まで出陣して参戦をうながしましたが、結局順慶は動きませんでした。ちなみに日和見(ひよりみ)するという意味の「洞ヶ峠」の故事(こじ)はこれが由来です。
細川藤孝・忠興父子にせよ、筒井順慶にせよ、彼らが動かなかったのには大きな理由がありました。それは、本能寺の変が「光秀自身によって単独で行われた」からです。
※上記は今回までの内容に関連する映像ですが、収録後に記事の文章を一部変更しております。また、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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紗那 元親さんですか!
それを忘れていた・・・orz
でも今日の記事の流れはちゃんと知ってました。
よかったです。日和見の由来がここっていうところまで知ってた、僕っててんさry
でも、味方しなかったりゆうまでは知りませんねー。
「単独」だと何か問題があるんでしょうか。
次回に期待します。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 元親さんですか!
> それを忘れていた・・・orz
意外と盲点みたいですね。後に秀吉によって領地を削られていますから余計に目立たないんですが、この時に滅亡の危機だったのは事実です。
> でも今日の記事の流れはちゃんと知ってました。
> よかったです。日和見の由来がここっていうところまで知ってた、僕っててんさry
努力家の紗那さんは「秀才」だと思いますよ(^_^)v
日和見のエピソードですが、筒井順慶が気の毒に思えてきますよね。
> でも、味方しなかったりゆうまでは知りませんねー。
> 「単独」だと何か問題があるんでしょうか。
> 次回に期待します。
単独=孤独、つまり仲間がいないということですからね。「強力な後ろ盾」がいないと、裏切りには二の足を踏むものなんですよ。
それを忘れていた・・・orz
でも今日の記事の流れはちゃんと知ってました。
よかったです。日和見の由来がここっていうところまで知ってた、僕っててんさry
でも、味方しなかったりゆうまでは知りませんねー。
「単独」だと何か問題があるんでしょうか。
次回に期待します。
> それを忘れていた・・・orz
意外と盲点みたいですね。後に秀吉によって領地を削られていますから余計に目立たないんですが、この時に滅亡の危機だったのは事実です。
> でも今日の記事の流れはちゃんと知ってました。
> よかったです。日和見の由来がここっていうところまで知ってた、僕っててんさry
努力家の紗那さんは「秀才」だと思いますよ(^_^)v
日和見のエピソードですが、筒井順慶が気の毒に思えてきますよね。
> でも、味方しなかったりゆうまでは知りませんねー。
> 「単独」だと何か問題があるんでしょうか。
> 次回に期待します。
単独=孤独、つまり仲間がいないということですからね。「強力な後ろ盾」がいないと、裏切りには二の足を踏むものなんですよ。