これを記念してつくられたのが上野の銅像(どうぞう)でしたが、軍服姿では西南戦争を想起(そうき)させるという理由で、猟犬(りょうけん)を連れての着流し姿が選ばれたほか、その場所も皇居付近から離(はな)れた上野に置かれることになりました。
また、西郷によって名誉を保(たも)つことができた庄内藩を通じて西郷の教えが一冊の本にまとめられ、明治22年の西郷の名誉回復を機に「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」として発刊されました。これは「西郷南洲遺訓」として現代でも入手が可能となっています。
なお「南洲」とは西郷が沖永良部島での文筆活動(ぶんぴつかつどう)で使った名であり、「南の島」という意味ではないかと考えられています。





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ぴーち こんにちは!
なるほど~
西郷さんの銅像は、
あの地に建立されたことも、また服装に関してもも
ちゃんとそれなりの意味があっての事だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
あれだけ我が国に貢献し続けてきた西郷さんに対して、いかに賊軍になったとはいえ、扱い方が何とも言えませんよね…。
上野の西郷銅像を見なければ…。
鹿児島のタク 黒田先生へ
上野の西郷ドンの銅像の除幕式に夫人のイトさんが出席されています。除幕の直後…「うちの人(西郷ドン)はこんな人ではなかった…」と言ってしまったのを、近くにいた西郷ドンの実弟、西郷従道は驚いて、その言葉をストップしたそうです。
そのイトさんの真意は、西郷ドンはどんな若輩の人が訪問しても、服装を整え、相手に失礼がないようにしていたからだと言われています。
西郷ドンらしいなと思います。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 イト夫人の話は私も聞いたことがあります。
時代が許さなかったとはいえ、確かに西郷さんらしくない銅像ですよね。
なるほど~
西郷さんの銅像は、
あの地に建立されたことも、また服装に関してもも
ちゃんとそれなりの意味があっての事だったのですね。
あれだけ我が国に貢献し続けてきた西郷さんに対して、いかに賊軍になったとはいえ、扱い方が何とも言えませんよね…。
上野の西郷ドンの銅像の除幕式に夫人のイトさんが出席されています。除幕の直後…「うちの人(西郷ドン)はこんな人ではなかった…」と言ってしまったのを、近くにいた西郷ドンの実弟、西郷従道は驚いて、その言葉をストップしたそうです。
そのイトさんの真意は、西郷ドンはどんな若輩の人が訪問しても、服装を整え、相手に失礼がないようにしていたからだと言われています。
西郷ドンらしいなと思います。
時代が許さなかったとはいえ、確かに西郷さんらしくない銅像ですよね。