お蔭様で、今回の記事が通算で200回目となります。いつも応援下さいまして、本当に有難うございます!
光秀は早くから朝廷と通じ、交渉役として奔走(ほんそう)してきましたが、信長の朝廷に対する態度は、そんな自分の今までの血のにじむような努力を無にしてしまいかねない、とんでもないものに見えました。光秀に朝廷に対する尊敬の思いがあったかどうかはっきりしませんが、少なくとも自己の努力を否定しかねない信長の行動に対しては「ついていけない」と不信感を抱いたことでしょう。
また、これは光秀に限りませんが、皇室に対する不敬な態度や、足利将軍家に対する追放という仕打ちなどが、当時の日本人からすれば「異常」に見えました。来たるべき新しい時代に向けての信長なりの秩序が、光秀には受けいれられなかったのです。こうして信長に対する不信感が募(つの)っていく中で、光秀の心の中に「爆弾」がつくられていきました。
しかし、これらの「ついていけない」思いだけで、光秀が信長への謀反を決意したとしても、すぐに行動を移したとは考えにくいのが現実です。不信感は確かに爆弾やその導火線と化していきましたが、肝心の「導火線に火がつく」までには至っていませんでした。では、その「火がつく」きっかけとは何だったのでしょうか?
ところで、事件が起こった後に実行犯を捜索(そうさく)する際の名言に「事件後に一番得をした者を疑え」というものがあります。この格言を「本能寺の変」に当てはめれば、誰が一番得をしたのでしょうか?
羽柴秀吉の名前が浮かびそうですが、彼はむしろ「被害者」になりかけています。光秀の毛利家に対する使者が秀吉側に捕まったことによって、秀吉は信長が暗殺されたことを初めて知りました。その後、急いで毛利家と講和して引き返しましたが、もし毛利家が信長暗殺を先に知っていれば、秀吉は中国地方に釘付けになっていたことでしょう。そんなリスクのあることを、秀吉が行うとは考えられません。
ではいったい誰が一番得をしたのでしょうか?
※上記は今回までの内容に関連する映像ですが、収録後に記事の文章を一部変更しております。また、講座のすべてに関する映像も配信しております。




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紗那 朝廷にどうしたという話は聞いたことありますねー。
何で読んだのか忘れましたけどww
誰が一番得したかですか。
漠然と秀吉さんなきがしてましたが、確かにいわれてみれば得してないですね。
家康さん?でも、光秀から逃れるために必死で逃げてたはずですし・・・
誰だろう・・・ 期待してます(ぇ
紗那さんへ
黒田裕樹 > 朝廷にどうしたという話は聞いたことありますねー。
> 何で読んだのか忘れましたけどww
聞かれたことがあるんですか。朝廷に歯向かうだけの資金力や権力を持っていましたからね。それだけに、本能寺の変には朝廷が黒幕の説もありますが、私の見解は…。
> 誰が一番得したかですか。
> 漠然と秀吉さんなきがしてましたが、確かにいわれてみれば得してないですね。
> 家康さん?でも、光秀から逃れるために必死で逃げてたはずですし・・・
秀吉については記事のとおりです。家康も、仰るとおり命がけで逃げ回りましたからねぇ。いくら狸親父でも、あれが芝居だとは思えません。
> 誰だろう・・・ 期待してます(ぇ
新しい記事に答えを書きましたが、ご期待どおりでしたでしょうか?(^^ゞ
韓非子の言葉
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
織田信長は、家臣を信じるのに家臣に裏切れています。
・ 浅井長政、荒木村重、松永久秀、明智光秀、
なぜ、織田信長は、家臣を見抜く力がなかったのかと思っていたのですが
中国の秦の始皇帝に韓非子が言った言葉を思いだました。
「上、三年にして下を知り 下、三日にして上を知る」
上の人間は、下を知るのに、3年掛る。
しかし、下(家臣)は、上司にイイように観られてたいから、3日あれば、上司を知ることができる。
織田信長は、後半生で、独裁病になると、まさに
この状態でしたね。
家臣は、信長が恐ろしいがゆえに、信長の前で
ええ顔をしようとする。
逆に独裁病になると家臣の本音が見えないくなる。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに韓非子の言うとおりですね。
独裁病はまさに「病、膏肓に入る」といったところでしょうか。
何で読んだのか忘れましたけどww
誰が一番得したかですか。
漠然と秀吉さんなきがしてましたが、確かにいわれてみれば得してないですね。
家康さん?でも、光秀から逃れるために必死で逃げてたはずですし・・・
誰だろう・・・ 期待してます(ぇ
> 何で読んだのか忘れましたけどww
聞かれたことがあるんですか。朝廷に歯向かうだけの資金力や権力を持っていましたからね。それだけに、本能寺の変には朝廷が黒幕の説もありますが、私の見解は…。
> 誰が一番得したかですか。
> 漠然と秀吉さんなきがしてましたが、確かにいわれてみれば得してないですね。
> 家康さん?でも、光秀から逃れるために必死で逃げてたはずですし・・・
秀吉については記事のとおりです。家康も、仰るとおり命がけで逃げ回りましたからねぇ。いくら狸親父でも、あれが芝居だとは思えません。
> 誰だろう・・・ 期待してます(ぇ
新しい記事に答えを書きましたが、ご期待どおりでしたでしょうか?(^^ゞ
こんにちは
青田です。
織田信長は、家臣を信じるのに家臣に裏切れています。
・ 浅井長政、荒木村重、松永久秀、明智光秀、
なぜ、織田信長は、家臣を見抜く力がなかったのかと思っていたのですが
中国の秦の始皇帝に韓非子が言った言葉を思いだました。
「上、三年にして下を知り 下、三日にして上を知る」
上の人間は、下を知るのに、3年掛る。
しかし、下(家臣)は、上司にイイように観られてたいから、3日あれば、上司を知ることができる。
織田信長は、後半生で、独裁病になると、まさに
この状態でしたね。
家臣は、信長が恐ろしいがゆえに、信長の前で
ええ顔をしようとする。
逆に独裁病になると家臣の本音が見えないくなる。
独裁病はまさに「病、膏肓に入る」といったところでしょうか。