こうしたいわゆる「征韓論争」は、西郷らが一方的に引き下がることで一応の決着を見ましたが、西郷ほどの実力者であれば、政府内部でクーデターを起こして政権を乗っ取り、実力で自己の政策を押し切ることも十分可能でした。
しかし、西郷は権力を私物化するのみならず、国益をないがしろにするような行為をなす考えは毛頭(もうとう)ありませんでした。このあたりにも武士道精神を重んじる「闘戦経」の考えを垣間見ることができます。
なお、西郷が下野して政府を去ったのを何よりも惜しまれたのが明治天皇でいらっしゃいました。西郷は政府に出仕してすぐに宮中(きゅうちゅう)の大改革に乗り出し、天皇ご自身に君主として相応(ふさわ)しい力量をお持ちになってほしいという願いを込めるとともに、まだお若かった明治天皇を全力で支え続けました。





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ぴーち こんにちは!
こうして伺っていると、明治天皇は
西郷さんはじめ、乃木将軍など
優れた人物との交流が深かったのですね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。明治天皇は素晴らしい人物と接することで成長され、歴史に残る君主になられたことが理解できます。
西郷ドンと明治大帝!
鹿児島のタク 黒田先生へ
明治大帝は、それまで女官に育てられ、教育を受けていた天皇とは違い、西郷ドンの計らいで山岡鉄舟、その他の豪傑に、育てられていますからねえ。
時代は、欧米列強の植民地支配の時代…それが必要だったのでしょう。
西郷ドンは、後で西南戦争を結果的に引き起こし「国賊」の汚名を着せられるのですが、西郷ドンの「国賊」の汚名を晴らし、その罪が許されたのは、明治大帝がそのことに積極的だったからとの著作物を読んだことがあります。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、明治天皇にとって西郷さんの存在は大きかったと拝察できます。
それだけに賊軍として西郷さんが死んでいったことを、陛下は悔やまれたのではないでしょうか。
こうして伺っていると、明治天皇は
西郷さんはじめ、乃木将軍など
優れた人物との交流が深かったのですね^^
明治大帝は、それまで女官に育てられ、教育を受けていた天皇とは違い、西郷ドンの計らいで山岡鉄舟、その他の豪傑に、育てられていますからねえ。
時代は、欧米列強の植民地支配の時代…それが必要だったのでしょう。
西郷ドンは、後で西南戦争を結果的に引き起こし「国賊」の汚名を着せられるのですが、西郷ドンの「国賊」の汚名を晴らし、その罪が許されたのは、明治大帝がそのことに積極的だったからとの著作物を読んだことがあります。
それだけに賊軍として西郷さんが死んでいったことを、陛下は悔やまれたのではないでしょうか。