禁門の変によって面目(めんぼく)を取り戻した江戸幕府は、長州藩に追い打ちをかけるべく諸藩を動員して討伐(とうばつ)の軍を起こしました。これを第一次長州征伐(だいいちじちょうしゅうせいばつ)といいます。
当時の長州藩はイギリス・アメリカ・フランス・オランダの4ヵ国が下関(しものせき)を砲撃(ほうげき)して占領(せんりょう)するという四国艦隊下関砲撃事件(しこくかんたいしものせきほうげきじけん)が起きるなど、まさに満身創痍(まんしんそうい)でした。
こうした状況(じょうきょう)を考えれば、幕府の征伐によって長州藩に致命的(ちめいてき)な打撃を与えることも十分に可能でしたが、四国艦隊下関砲撃事件も加わっての長州藩の弱体化(じゃくたいか)がいずれは「日本国」への侵略(しんりゃく)につながると判断(はんだん)した西郷にとって、それは好(この)ましいことではありませんでした。
西郷は自(みずか)ら敵地(てきち)の岩国(いわくに)に出向いて説得し、一戦も交(まじ)えることなく長州征伐を片付(かたづ)けることに成功しましたが、幕府が長州征伐にこだわり続ける姿勢(しせい)を見せると、やがて西郷は幕府を見限り、敵対していた長州藩と手を結ぶ道を模索(もさく)し始めたのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
長州を味方につけると付けないとでは、
戦いの勝利が大きく幕府に傾いてしまうという
判断をいち早くつけた西郷さんの先見の明が
功を奏したお話ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、幕府の態度に問題がある以上は西郷さんの好判断が我が国を救ったことになりますね。
大局を見ることができなければ国政を任せるわけにはいきません。
長州を味方につけると付けないとでは、
戦いの勝利が大きく幕府に傾いてしまうという
判断をいち早くつけた西郷さんの先見の明が
功を奏したお話ですね!
大局を見ることができなければ国政を任せるわけにはいきません。