昭和20(1945)年10月9日に内閣を発足(ほっそく)させた幣原は、11日に新任挨拶(あいさつ)のためマッカーサーに面会に出向きましたが、そこで待っていたのはGHQによる一方的な要求でした。
マッカーサーは幣原首相に対し、面会したその場で大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法=めいじけんぽう)の改正を示唆(しさ、ほのめかすこと)すると同時に、以下の5つの改革を口頭(こうとう)で要求しました。これを五大改革指令(ごだいかいかくしれい)といいます。
1.婦人参政権(ふじんさんせいけん)の付与(ふよ)
2.労働組合の結成奨励(しょうれい)
3.教育の自由主義化
4.秘密警察(ひみつけいさつ)などの廃止(はいし)
5.経済の民主化
なお、憲法改正問題に関しては別の機会で詳しく紹介(しょうかい)します。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
改革指令の内容はいづれにせよ、
気になる点は、やはり「弱腰」である事ですね。
主張すべき事は、主張し、例えそれがアメリカに拒絶されても、何が何でも押し通すんだという強い意思が
その当時の内閣にも存在していれば、また日本への対応が変わっていたかもしれませんね。
占領とは、不条理で、理不尽なもの
- 黒田先生
青田です。
占領された国というのは、ここまで、理不尽で、
不条理な思いをしないといけないのですね。
この時の日本は、近代国家として、かなり、見識・良識を前提にした、体制を創っていました。
しかし、GHQの理不尽な要求に何の知識・見識も全く、通用しませんでした。
今の日本人は、こういう話自体、ネガティブな話として、敬遠し、単なる昔話だからと真実を知ろうとしませんが、
ただ、これは、単なる悲劇の昔話とは、思えません。
現代にも有り得る話です。
もし、近隣の某国に占領されたら、同じような(もっと、理不尽な)する可能性があります。
『歴史から、学ばない国は、必ず、凋落する。』ことを忘れてはいけませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、弱腰外交の幣原首相では荷が重すぎました。短期間で内閣を辞職した東久邇宮のような気概がほしかったとも言えますね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
悲惨な経験を経たのであれば、二度と同じ目にあってはなりません。
そのためにも私たちは「正しい戦後史」と向き合わねばならないのです。
改革指令の内容はいづれにせよ、
気になる点は、やはり「弱腰」である事ですね。
主張すべき事は、主張し、例えそれがアメリカに拒絶されても、何が何でも押し通すんだという強い意思が
その当時の内閣にも存在していれば、また日本への対応が変わっていたかもしれませんね。
青田です。
占領された国というのは、ここまで、理不尽で、
不条理な思いをしないといけないのですね。
この時の日本は、近代国家として、かなり、見識・良識を前提にした、体制を創っていました。
しかし、GHQの理不尽な要求に何の知識・見識も全く、通用しませんでした。
今の日本人は、こういう話自体、ネガティブな話として、敬遠し、単なる昔話だからと真実を知ろうとしませんが、
ただ、これは、単なる悲劇の昔話とは、思えません。
現代にも有り得る話です。
もし、近隣の某国に占領されたら、同じような(もっと、理不尽な)する可能性があります。
『歴史から、学ばない国は、必ず、凋落する。』ことを忘れてはいけませんね。
悲惨な経験を経たのであれば、二度と同じ目にあってはなりません。
そのためにも私たちは「正しい戦後史」と向き合わねばならないのです。