松岡は「反ユダヤ主義を支持するつもりはない」と常々(つねづね)主張していましたが、外務大臣に就任した当時は我が国とドイツとが同盟締結(ていけつ)の交渉中(こうしょうちゅう)であったことから、難民の受けいれを拒否したとされています。
ちなみに松岡は杉原に受けいれ拒否の電報を送る際に、周囲に内容が漏(も)れないようにする暗号電報ではなく、敢(あ)えて普通電報を使用しています。この姿勢にこそ、反ユダヤ主義を不支持としながらもドイツとの同盟を優先しなければならなかった松岡の苦衷(くちゅう)がうかがえるのではないでしょうか。
また、樋口が主張した「ユダヤ人難民の受けいれの正当性」を認めた関東軍参謀長(当時)の東条英機の存在も大きかったと思いますが、もしオトポール事件における樋口の決断を東条が支持したことが当時の世界に知れ渡っていれば、東条自身のその後の運命も変わったかもしれません。





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ぴーち こんばんは!
本当ですね。
東条英機といえば、やはりあの戦争のA級戦犯として
汚名を着せられながら、処刑させられてしまいましたから、こういう陰の功労もしっかりと果たしていた事を名誉挽回の為にも、もっと公にして差し上げたいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
東条元首相の名誉回復を私たち日本国民の手で何としても実現させなければなりませんね。
本当ですね。
東条英機といえば、やはりあの戦争のA級戦犯として
汚名を着せられながら、処刑させられてしまいましたから、こういう陰の功労もしっかりと果たしていた事を名誉挽回の為にも、もっと公にして差し上げたいですね。
東条元首相の名誉回復を私たち日本国民の手で何としても実現させなければなりませんね。