難民受けいれを決断した樋口でしたが、オトポールからハルビンまでの長い道のりを安全に護送(ごそう)するには特別な列車を出す必要があったことから、樋口は南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどうかぶしきがいしゃ、別名を満鉄=まんてつ)に掛(か)け合い、最終的に運賃無料で輸送できることになりました。なお、当時の満鉄の総裁(そうさい)は後に外務大臣を務めた松岡洋右(まつおかようすけ)です。
昭和13年3月12日、ハルビン駅に難民たちを乗せた特別列車が到着(とうちゃく)すると、プラットホームには多くの涙と笑みがこぼれました。難民たちには5日間のビザが発行されたほか、地元の商工クラブや学校へと収容(しゅうよう)され、そこで炊(た)き出しを受けました。
樋口の決断によってこの後も多くのユダヤ人難民がいわゆる「ヒグチ・ルート」を利用してハルビンまでやって来ました。その総数はおよそ2万人とも、あるいは数百人から数千人とも伝えられています。





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ぴーち おはようございます!
よく耳にする事ですが、
日本人の初動体制の甘さ(と言うか、鈍さ)がその後の進展に
悪影響を与えている事例が多い中、こうした
決断力の速さ、的確な判断力を備えた日本人が
存在したことに私たちはもっと誇りを持つべきだなと改めて感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
今後の講座の内容でさらに実感されるとは思いますが、樋口将軍の場合はエリートの良い面が突出しているといえます。
よく耳にする事ですが、
日本人の初動体制の甘さ(と言うか、鈍さ)がその後の進展に
悪影響を与えている事例が多い中、こうした
決断力の速さ、的確な判断力を備えた日本人が
存在したことに私たちはもっと誇りを持つべきだなと改めて感じました。
今後の講座の内容でさらに実感されるとは思いますが、樋口将軍の場合はエリートの良い面が突出しているといえます。