藁(わら)にも縋(すが)る思いでオトポールまでやって来たユダヤ人難民でしたが、満州国から足止めを食らって立ち往生(おうじょう)してしまいました。3月の当地は最低気温が氷点下20℃を下回るという厳(きび)しい寒さであり、難民たちは極寒(ごっかん)の原野(げんや)にテントを張って助けを求め続けましたが、中には凍死(とうし)する者まで現れ始めていました。
難民の困難(こんなん)な様子を耳にした樋口は、事態(じたい)の深刻(しんこく)さを直(ただ)ちに理解したものの、日本の一軍人が友好を深めつつあったドイツの国策に反する決定を下(くだ)すことは容易(ようい)ではありませんでした。
しかし、先述(せんじゅつ)したカウフマンからも難民の救出を懇願(こんがん)された樋口は、熟慮(じゅくりょ)を重ねた末(すえ)に難民を受けいれることを決断したのです。なお、これら一連の流れを今日では「オトポール事件」と呼(よ)んでいます。
「難民の存在を無視することはできない」。「人道上の問題」を重視した樋口の「誇りある決断」でした。





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ぴーち おはようございます!
考えてみれば、樋口氏の生き方は人間が人間らしく生きる為に必要である基本的な考え方に沿って
いるように思います。
自分の気持ちに正直に生きる事は難しい事ですが、(周りの人間関係や、社会情勢にどうしても流されてしまいがち)樋口氏はその信念を曲げずに常に自分自身の正義とすり合わせながら、道を外す事のないように懸命に生きようとした人だった様に思えました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、樋口氏のまっすぐな生き方が周囲に大きな影響を与えたと思います。
これから紹介しますが、その後の対応においても将軍は完璧に処置を行っておられますからね。
考えてみれば、樋口氏の生き方は人間が人間らしく生きる為に必要である基本的な考え方に沿って
いるように思います。
自分の気持ちに正直に生きる事は難しい事ですが、(周りの人間関係や、社会情勢にどうしても流されてしまいがち)樋口氏はその信念を曲げずに常に自分自身の正義とすり合わせながら、道を外す事のないように懸命に生きようとした人だった様に思えました。
これから紹介しますが、その後の対応においても将軍は完璧に処置を行っておられますからね。