当時の我が国はドイツと防共協定(ぼうきょうきょうてい)を結んでおり、ドイツの国策(こくさく)に反することになる大会を認めない方が良いのではないかという意見もありましたが、樋口は全く意に介(かい)さず、来賓(らいひん)として自(みずか)ら大会にも出席しました。
大会当日、樋口は「一日本国民として出席する」という意思を示したのか、軍服ではなく平服で会場に現れると、ユダヤ人擁護(ようご)の演説を行って会場が万雷(ばんらい)の拍手(はくしゅ)に包まれたと伝えられています。
これらの姿勢(しせい)から見られるように、樋口自身は当時のユダヤ人が抱(かか)えていた苦難(くなん)に対して同情的でした。そんな中、大会からわずか3ヵ月後に樋口は大きな決断を迫(せま)られることになるのです。





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ぴーち おはようございます!
一個人の宗教的弾圧意識から、ただユダヤ人であるという理由だけで、迫害を受けなければいけないという状態に樋口氏は耐えられなかったのでしょうね。
過去の出来事にとらわれ過ぎて、怨恨を募らせていると、自分自身の首も最終的には絞めることになってしまう。。
「人を呪わば、穴二つ」とは、よく言ったものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 過去の出来事にとらわれ過ぎて、怨恨を募らせていると、自分自身の首も最終的には絞めることになってしまう。。
人間にとって永遠の課題でしょうね。樋口将軍の場合も様々な困難を乗り越えて我が国に貢献することになるのですが、そこには「人種差別を許さない」という我が国の国是もありました。
一個人の宗教的弾圧意識から、ただユダヤ人であるという理由だけで、迫害を受けなければいけないという状態に樋口氏は耐えられなかったのでしょうね。
過去の出来事にとらわれ過ぎて、怨恨を募らせていると、自分自身の首も最終的には絞めることになってしまう。。
「人を呪わば、穴二つ」とは、よく言ったものです。
人間にとって永遠の課題でしょうね。樋口将軍の場合も様々な困難を乗り越えて我が国に貢献することになるのですが、そこには「人種差別を許さない」という我が国の国是もありました。