810年9月、平城上皇はついに平城京への再遷都を宣言されましたが、事前に察知された嵯峨天皇に動きを封じられ、上皇は東国へ逃れようとされましたが、先回りした坂上田村麻呂らによって阻止されました。進退窮(きわ)まった平城上皇は出家されることで許され、仲成は射殺され、薬子は毒をあおって自害しました。この事件を「薬子の変」といいます。
藤原仲成と藤原薬子の兄妹は、長岡京の造営責任者で暗殺された藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の子でした。薬子の変の背景には、種継が命がけで造営しようとした長岡京を結果的に「捨てた」桓武天皇に対する激しい憤りがあったとされています。尚、射殺された仲成以来、朝廷で死刑が執行されることはなくなりました。死刑の復活は12世紀半ばの「ある事件」まで待つことになります。
薬子の変の結果、藤原四兄弟の宇合(うまかい)を始祖とする式家(しきけ)は没落し、房前(ふささき)の子孫である藤原冬嗣が率いる北家(ほっけ)が力をつけるきっかけになりました。また、薬子の変の際に嵯峨天皇の側について勝利の祈祷を行い、後の出世につながる働きをした僧がいました。その名を空海(くうかい)といいます。




いつも有難うございます。
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monariz 一番乗りかな?
再遷都なんて話は始めて聞きましたねー
確かに阻止されたのであれば、まぁ重要ではないのかもしれませんけど・・・ ていうか嵯峨天皇とか聞いたことないです。
長岡京でそんなつながりがあったんですか。それは知りませんでした。これも歴史的には面白い話だと思うんですけどねー。やはり授業時間の問題ですよね。
ある事件ってなんでしょう。木になります。待ちます。
空海さんがここで出てくるんですか!それと絡めれば授業にだせないことも・・・ ま、そんなに覚えられませんよね。 空海さんがかつやくするタイミングを待ってます。
紗那 申し訳ありません。さきほどのコメントは自分のものでした。
友人の家からのアクセスなもので。変更するのを忘れていました。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 一番乗りかな?
ハイ、一番乗りです(笑)。
> 再遷都なんて話は始めて聞きましたねー
> 確かに阻止されたのであれば、まぁ重要ではないのかもしれませんけど・・・ ていうか嵯峨天皇とか聞いたことないです。
このあたりは高校の日本史で初めて学びますからね。まぁ今回で理解しておいて損はないですよ(^^ゞ
> 長岡京でそんなつながりがあったんですか。それは知りませんでした。これも歴史的には面白い話だと思うんですけどねー。やはり授業時間の問題ですよね。
薬子の変によって、桓武天皇―長岡京―藤原種継―藤原薬子―平城天皇―嵯峨天皇が全部つながるんですよ。話の内容も面白いし(特に女性向き)、生徒のためにもなるんですが、仰るとおり授業時間が…。
> ある事件ってなんでしょう。木になります。待ちます。
いずれ紹介しますよ。その時に「あぁ、薬子の変以来か!」と思い出せればOKですね(^_^)v
> 空海さんがここで出てくるんですか!それと絡めれば授業にだせないことも・・・ ま、そんなに覚えられませんよね。 空海さんがかつやくするタイミングを待ってます。
さすがに欲張りすぎかな(^^ゞ
まぁこれも覚えていて損はないですよ。空海が活躍できたのにはそれなりの理由があったということです。
> 申し訳ありません。さきほどのコメントは自分のものでした。
> 友人の家からのアクセスなもので。変更するのを忘れていました。
いえいえ、お構いなく。ご友人のmonarizさんにも、是非私のブログを勧めて下さいね(^^♪
ぴーち こんばんは!
講座、今回もご盛況だったとのこと、
喜ばしい事です!
ここまで藤原家一族の末路というのは、何やら
まともな最期を迎えられていない様な気がするのですが・・^^;
空海は存じております。
こういう繋がりがあったんですね。
それでは、また、お邪魔します!
安眠癒しグマ こんばんは☆
ようやくパソコンができる状態になりました。。。
下のコメントかえしありがとうございました。講座、たくさん予定されていますもんね♪またの機会に是非。そして、記事たのしみにしてますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 講座は皆様のお陰で大盛況でした。詳しくはこの後の別記事で紹介しますね(^^♪
そうですね。これも藤原氏の激しい勢力争いが呼んだ結末なのでしょうか…。ただ、今回の「薬子の変」によって藤原北家が勢力を伸ばしたことで、今後の展開が変わることになります。
空海も歴史の表舞台に突然姿を現したわけではないんですよね。歴史の流れを実感する一場面だと思います。
安眠癒しグマさんへ
黒田裕樹 > こんばんは☆
> ようやくパソコンができる状態になりました。。。
体調ご回復されましたか?
良かったですね(^^♪
> 下のコメントかえしありがとうございました。講座、たくさん予定されていますもんね♪またの機会に是非。そして、記事たのしみにしてますね。
いえいえ。講座につきましては今後も続けてまいりますので、是非ご参加下さいね!
ケンシロウ こんにちは。
講座は大盛況だったようですね。
薬子の変と呼ばれるので自害ではなく
殺されたものと記憶しておりました。
やはりおいらの記憶は曖昧で
いい加減に覚えてきたということが立証されましたw
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 講座の件、お言葉有難うございます。
薬子の変ですが、仰るとおり自害で決着しています。いつもの言葉ですみませんが、これを機会に理解くださればと思いますよ。
徳薙零己 お初にお目にかかります。平安時代初期を舞台とする小説をブログで書いている徳薙零己(とくなぎ・れいき)と申します。
藤原薬子については50日に渡って公開し、その後の藤原冬嗣については120日かけて公開するという長さになっていますが、簡潔にまとめるとこうなのだな、という思いにさせられます。
徳薙零己さんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログにお越し下さって有難うございます。
文筆の専門の方にお褒めの言葉をいただいて恐縮しております。
お言葉についてですが、深く掘り下げて展開する小説と違って、歴史の授業の場合は史実を中心に出来るだけ簡潔にまとめる必要があるからだと思います。
ひとつのことに時間をかけすぎると、覚えることの多さに生徒が反発しかねないという事情があるんですよ。それでも大事なことには時間をかけたいんですが、今度は授業時間数の限界という問題がありますし。
徳薙さんの小説、時間を見つけてじっくり拝読させていただきますので、今後とも宜しくお願いします。
再遷都なんて話は始めて聞きましたねー
確かに阻止されたのであれば、まぁ重要ではないのかもしれませんけど・・・ ていうか嵯峨天皇とか聞いたことないです。
長岡京でそんなつながりがあったんですか。それは知りませんでした。これも歴史的には面白い話だと思うんですけどねー。やはり授業時間の問題ですよね。
ある事件ってなんでしょう。木になります。待ちます。
空海さんがここで出てくるんですか!それと絡めれば授業にだせないことも・・・ ま、そんなに覚えられませんよね。 空海さんがかつやくするタイミングを待ってます。
友人の家からのアクセスなもので。変更するのを忘れていました。
ハイ、一番乗りです(笑)。
> 再遷都なんて話は始めて聞きましたねー
> 確かに阻止されたのであれば、まぁ重要ではないのかもしれませんけど・・・ ていうか嵯峨天皇とか聞いたことないです。
このあたりは高校の日本史で初めて学びますからね。まぁ今回で理解しておいて損はないですよ(^^ゞ
> 長岡京でそんなつながりがあったんですか。それは知りませんでした。これも歴史的には面白い話だと思うんですけどねー。やはり授業時間の問題ですよね。
薬子の変によって、桓武天皇―長岡京―藤原種継―藤原薬子―平城天皇―嵯峨天皇が全部つながるんですよ。話の内容も面白いし(特に女性向き)、生徒のためにもなるんですが、仰るとおり授業時間が…。
> ある事件ってなんでしょう。木になります。待ちます。
いずれ紹介しますよ。その時に「あぁ、薬子の変以来か!」と思い出せればOKですね(^_^)v
> 空海さんがここで出てくるんですか!それと絡めれば授業にだせないことも・・・ ま、そんなに覚えられませんよね。 空海さんがかつやくするタイミングを待ってます。
さすがに欲張りすぎかな(^^ゞ
まぁこれも覚えていて損はないですよ。空海が活躍できたのにはそれなりの理由があったということです。
> 申し訳ありません。さきほどのコメントは自分のものでした。
> 友人の家からのアクセスなもので。変更するのを忘れていました。
いえいえ、お構いなく。ご友人のmonarizさんにも、是非私のブログを勧めて下さいね(^^♪
講座、今回もご盛況だったとのこと、
喜ばしい事です!
ここまで藤原家一族の末路というのは、何やら
まともな最期を迎えられていない様な気がするのですが・・^^;
空海は存じております。
こういう繋がりがあったんですね。
それでは、また、お邪魔します!
ようやくパソコンができる状態になりました。。。
下のコメントかえしありがとうございました。講座、たくさん予定されていますもんね♪またの機会に是非。そして、記事たのしみにしてますね。
そうですね。これも藤原氏の激しい勢力争いが呼んだ結末なのでしょうか…。ただ、今回の「薬子の変」によって藤原北家が勢力を伸ばしたことで、今後の展開が変わることになります。
空海も歴史の表舞台に突然姿を現したわけではないんですよね。歴史の流れを実感する一場面だと思います。
> ようやくパソコンができる状態になりました。。。
体調ご回復されましたか?
良かったですね(^^♪
> 下のコメントかえしありがとうございました。講座、たくさん予定されていますもんね♪またの機会に是非。そして、記事たのしみにしてますね。
いえいえ。講座につきましては今後も続けてまいりますので、是非ご参加下さいね!
講座は大盛況だったようですね。
薬子の変と呼ばれるので自害ではなく
殺されたものと記憶しておりました。
やはりおいらの記憶は曖昧で
いい加減に覚えてきたということが立証されましたw
薬子の変ですが、仰るとおり自害で決着しています。いつもの言葉ですみませんが、これを機会に理解くださればと思いますよ。
藤原薬子については50日に渡って公開し、その後の藤原冬嗣については120日かけて公開するという長さになっていますが、簡潔にまとめるとこうなのだな、という思いにさせられます。
文筆の専門の方にお褒めの言葉をいただいて恐縮しております。
お言葉についてですが、深く掘り下げて展開する小説と違って、歴史の授業の場合は史実を中心に出来るだけ簡潔にまとめる必要があるからだと思います。
ひとつのことに時間をかけすぎると、覚えることの多さに生徒が反発しかねないという事情があるんですよ。それでも大事なことには時間をかけたいんですが、今度は授業時間数の限界という問題がありますし。
徳薙さんの小説、時間を見つけてじっくり拝読させていただきますので、今後とも宜しくお願いします。