昭和19(1944)年に入ると、学徒出陣で徴兵(ちょうへい)されなかった学生・生徒は軍需工業(ぐんじゅこうぎょう)に動員され、高学年の生徒の男女を問わない深夜作業も許可されました。そして昭和20(1945)年3月には決戦教育措置要綱(けっせんきょういくそちようこう)が定められ、国民学校初等科を除(のぞ)いたすべての学生・生徒の授業が停止され、学徒勤労総動員の体制がとられました。
学徒出陣や学徒勤労動員が行われた背景には、大東亜戦争における戦局の悪化による人材不足がありました。男子の多くが出征(しゅっせい)したこともあって女子挺身隊(じょしていしんたい)が結成され、兵役(へいえき)のなかった女子も未婚者(みこんしゃ)が工場での生産に動員されました。
また、戦局の悪化でアメリカ軍による本土への空襲(くうしゅう)の危険性(きけんせい)が高まると、政府は学童を保護(ほご)するため昭和19年8月頃(ごろ)から大都市の学童を集団で地方へ疎開(そかい)させました。これを学童疎開といいます。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち おはようございます!
何度も繰り返す様ですが、人材不足に陥る背景には、総玉砕やら、自決やらという日本軍の基本的な考え方がこのような事態を招いていたのではないかと思え、残念に思えてなりません。
戦争自体を一つのゲームか、スポーツの様な感覚で戦うアメリカと、方や日本人はその気質通りに真剣勝負の捨て身で挑んでいくような戦いをどうしても展開せざるを得ません。(戦い方のバリエーションに乏しいという意味で)
その戦争に向き不向きがあるとしたら、きっと日本人は戦いには基本的に不向きな人種なのではないでしょうか。(特に長期戦に持ち込まれると、完全に不利な立場に立たされると思います)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本人の生真面目な気質が逆効果になっているような気もしますね。
資源に恵まれないところも長期戦に不向きであるといえそうです。
何度も繰り返す様ですが、人材不足に陥る背景には、総玉砕やら、自決やらという日本軍の基本的な考え方がこのような事態を招いていたのではないかと思え、残念に思えてなりません。
戦争自体を一つのゲームか、スポーツの様な感覚で戦うアメリカと、方や日本人はその気質通りに真剣勝負の捨て身で挑んでいくような戦いをどうしても展開せざるを得ません。(戦い方のバリエーションに乏しいという意味で)
その戦争に向き不向きがあるとしたら、きっと日本人は戦いには基本的に不向きな人種なのではないでしょうか。(特に長期戦に持ち込まれると、完全に不利な立場に立たされると思います)
資源に恵まれないところも長期戦に不向きであるといえそうです。