そして明治27(1894)年に日清戦争(にっしんせんそう)が勃発(ぼっぱつ)すると、乃木は歩兵第一旅団長(りょだんちょう)として出陣して遼東半島(りょうとうはんとう)に上陸し、清国(しんこく)にとって最重要の拠点(きょてん)であった旅順の要塞を、一万数千人の兵力によってわずか一日で陥落(かんらく)させました。
乃木は日清戦争終結直前の明治28(1895)年4月に軍功(ぐんこう)を称えられて陸軍中将(ちゅうじょう)に昇進しましたが、このときに旅順の要塞を一日で落としたことが、後の日露戦争で彼に塗炭(とたん)の苦しみを味あわせることになるとは、当時の誰(だれ)しもが予測もつかないことでした。
なお、乃木は戦争後に我が国の領土となったばかりの台湾総督(たいわんそうとく)を務(つと)めましたが後に帰国し、休職を挟(はさ)んで新設された第十一師団長に任じられました。大臣級の要職たる総督を歴任した後に再び師団長に据(す)えるというのは格下げ感が否(いな)めませんでしたが、乃木はそんなことは全く気にせず、喜んで任地先の香川へと向かいました。





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ぴーち こんばんは!
乃木将軍にとって、自分に与えられた階級や
肩書きなどはあまり眼中に無い事だったのかもしれませんね^^;
一番重要視したのは、やはり天皇陛下に対する忠誠心だったのでしょうか・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに陛下への忠誠心が乃木将軍の原動力になったかもしれませんね。
あるいは「根っからの武人」である彼にとって、格式高い地位よりも現場の方が喜びを感じていたのかもしれません。
乃木将軍にとって、自分に与えられた階級や
肩書きなどはあまり眼中に無い事だったのかもしれませんね^^;
一番重要視したのは、やはり天皇陛下に対する忠誠心だったのでしょうか・・・?
あるいは「根っからの武人」である彼にとって、格式高い地位よりも現場の方が喜びを感じていたのかもしれません。