称徳天皇は後継者をお決めにならずに崩御されたため、次の天皇に誰を即位させるかについて朝廷で協議が行われました。右大臣の吉備真備(きびのまきび)は天武天皇の血を引く、臣籍降下した元皇族を推挙しましたが、土壇場(どたんば)で藤原百川や藤原永手が支持する白壁王(しらかべおう)が第49代の光仁天皇(こうにんてんのう)として即位されました。
光仁天皇はもちろん皇室の血を引いておられましたが、実は天智天皇の孫にあたられました。壬申の乱以来、天武系で占められていた天皇の地位が、約100年ぶりに天智系に復帰したことになります。そして、天智天皇の血脈は現代の皇室においても引き継がれているのです。
光仁天皇は、白壁王の時代に他の皇族が権力闘争で次々と生命を落としていくのを横目にしながら、自らは飲酒を続けて野心のないことをアピールし続けていたという苦労されたご経験の持ち主で、ご即位されたときには既に62歳になっておられました。
ご自身ではお考えにもならなかった天皇に即位された光仁天皇は、感謝のお気持ちもあって藤原百川や藤原永手などの藤原氏の一族を重く用いられ、以後は光仁天皇とその信任を受けた藤原氏によって律令政治の再建が目指されました。尚、藤原百川は藤原四兄弟の宇合(うまかい)の子で、藤原永手は房前(ふささき)の子にあたります。
こうして100年にも満たない短い間に繰り広げられた勢力争いは、最終的には藤原氏の手に引き継がれ、以後も藤原氏は政治に積極的に関わっていくことになるのです。ちなみに、称徳天皇と道鏡によって禁止された墾田の私有は、光仁天皇のご即位後に再開されています。また、仏教勢力を排除する傾向は、やがて迎える「新たな時代」に向けての大きな流れのひとつとなったのでした。




いつも有難うございます。
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オバrev 再度、というか何度目か忘れましたが、また藤原氏がでてきましたね。
これ以降は、ついに藤原氏の天下ですか。
貴族の反発もあったんでしょうが、盤石の構えで押さえ込んだんでしょうね。
でも四家もあったら、その中で権力争いがおこるんじゃないかと思います。兄弟や親戚だからといって必ずしも仲が良いわけでもないですからね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 再度、というか何度目か忘れましたが、また藤原氏がでてきましたね。
不比等から数えたら藤原氏→反藤原氏→藤原氏→反藤原氏→藤原氏→反藤原氏→藤原氏ですから四回目です(笑)。ホンマに替わりすぎ!
> これ以降は、ついに藤原氏の天下ですか。
> 貴族の反発もあったんでしょうが、盤石の構えで押さえ込んだんでしょうね。
藤原氏が中心となりますが、まだライバルたちが出てきます(例えば天神さん)ので、藤原氏の独占までにはまだしばらく時間がかかります。いずれ紹介できると思いますよ。
> でも四家もあったら、その中で権力争いがおこるんじゃないかと思います。兄弟や親戚だからといって必ずしも仲が良いわけでもないですからね。
そのとおりです。四家のうちどれが生き残るのでしょうか?
ぴーち よくは解りませんが、
光仁天皇は、徳川家康のようなタイプの
方だったのでしょうか?
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう ほととぎす」
本当に家康という人物は、この句の通りの人物
だったのでしょうか・・。
または、赤穂浪士の大石内蔵助のように
まるで仇討とは縁も無いような顔を
し続けていたように、辛抱強い人物だったのでしょうかね。。
今日は質問ばかりになってしまいました^^;
では、では♪
ケンシロウ こんにちは。
またか!先生の講義が近付くと
インフルエンザが猛威を振るう。
無事に開催出来るとを願います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「長生きすることによって天下を取った」点については共通していますが、自分から動いた家康と、周囲から勧められるまで動かなかった(というより動けなかった)光仁天皇という違いはあると思います。
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう ほととぎす」は有名な句ですよね。ある意味待ち続けた点は上記のとおりですが、水面下で工作をしっかりしていたからこそ、豊臣家を完全に滅ぼすことができたと思います。現実には「果報は寝て待て」とはなかなかいかないようですね。
光仁天皇が辛抱強い点は当たっていると思います。殺されないようにするために飲酒をして敵意がないことをアピールし続けることは、ある意味屈辱的ですからね。
質問ばかりは大いに結構です(^^♪
次回のご質問をお待ちしておりますね(^o^)丿
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 お気遣い有難うございます。前回のように毒性が分からず、まさに「得体が知れない」ということはないと思いますので、今回は大丈夫だと思っています。
いずれにせよ、着々と準備を進めていきますね(^^♪
さすらい こんばんは。
またも藤原氏ですか(笑)
後の藤原氏紀香は
陣内を婿に迎えるが早々に離婚。
芸能界の女帝に君臨するのであった。。。
さて、やがて迎える「新たな時代」とは?
紀香はどうなるのであろうか。。。
失礼しました(笑)
でも光仁天皇は62歳ですか。
そして血脈が現代の皇室に
引き継がれているのは凄い事です。
世界に誇れますよね。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 なるほど、紀香氏には「女帝」の言葉がピッタリですね(笑)。
天智系と天武系に分かれた皇統は、しばらくは天武系から天皇が誕生していたのですが、この時点で逆転してしまうんですよね。ひょっとしたらこれも「長屋王のタタリ」かもしれません。
光仁天皇の段階でも、皇統は1200年以上も続いていることになります。まさに「世界に誇る皇室の伝統」ですよね。我が国にとってかけがえのない皇室は、いつまでも続いてほしいと思います。
紗那 ここで藤原氏の登場なのですか。
藤原氏の押した天皇ですから、当然藤原氏が権力を握るわけですね。
ここから!僕の嫌いな平安時代がはじまるのか・・・・
正直平和な時代が覚えるのが難しいです。
もっと合戦とかやってください←
しかし今の天皇が天智天皇の血を引いているとは初耳です。
紗那さんへ
黒田裕樹 > ここで藤原氏の登場なのですか。
> 藤原氏の押した天皇ですから、当然藤原氏が権力を握るわけですね。
仰るとおりです。藤原氏の場合は天皇を前面に押し立てたうえで、政治の実権は自分たちが握る、というのが基本的なパターンですね。
ところで「押して」ではなく「推して」ですのでよろしくお願いしますm(_ _)m
> ここから!僕の嫌いな平安時代がはじまるのか・・・・
> 正直平和な時代が覚えるのが難しいです。
> もっと合戦とかやってください←
「平安=平和」だと普通は思いますよね。ところが実際には合戦に負けず劣らずの「ドロドロした」権力争いも見ものなんですよ。そちらの方にご期待下さい(?)。
> しかし今の天皇が天智天皇の血を引いているとは初耳です。
天智天皇はもちろん、神武天皇の血脈までたどり着きますからね。2000年近くも男系ばかりがまるでバトンリレーのように続いているというのは世界史でも奇跡なんですよ。皇室の凄さですよね。
これ以降は、ついに藤原氏の天下ですか。
貴族の反発もあったんでしょうが、盤石の構えで押さえ込んだんでしょうね。
でも四家もあったら、その中で権力争いがおこるんじゃないかと思います。兄弟や親戚だからといって必ずしも仲が良いわけでもないですからね。
不比等から数えたら藤原氏→反藤原氏→藤原氏→反藤原氏→藤原氏→反藤原氏→藤原氏ですから四回目です(笑)。ホンマに替わりすぎ!
> これ以降は、ついに藤原氏の天下ですか。
> 貴族の反発もあったんでしょうが、盤石の構えで押さえ込んだんでしょうね。
藤原氏が中心となりますが、まだライバルたちが出てきます(例えば天神さん)ので、藤原氏の独占までにはまだしばらく時間がかかります。いずれ紹介できると思いますよ。
> でも四家もあったら、その中で権力争いがおこるんじゃないかと思います。兄弟や親戚だからといって必ずしも仲が良いわけでもないですからね。
そのとおりです。四家のうちどれが生き残るのでしょうか?
光仁天皇は、徳川家康のようなタイプの
方だったのでしょうか?
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう ほととぎす」
本当に家康という人物は、この句の通りの人物
だったのでしょうか・・。
または、赤穂浪士の大石内蔵助のように
まるで仇討とは縁も無いような顔を
し続けていたように、辛抱強い人物だったのでしょうかね。。
今日は質問ばかりになってしまいました^^;
では、では♪
またか!先生の講義が近付くと
インフルエンザが猛威を振るう。
無事に開催出来るとを願います。
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう ほととぎす」は有名な句ですよね。ある意味待ち続けた点は上記のとおりですが、水面下で工作をしっかりしていたからこそ、豊臣家を完全に滅ぼすことができたと思います。現実には「果報は寝て待て」とはなかなかいかないようですね。
光仁天皇が辛抱強い点は当たっていると思います。殺されないようにするために飲酒をして敵意がないことをアピールし続けることは、ある意味屈辱的ですからね。
質問ばかりは大いに結構です(^^♪
次回のご質問をお待ちしておりますね(^o^)丿
いずれにせよ、着々と準備を進めていきますね(^^♪
またも藤原氏ですか(笑)
後の藤原氏紀香は
陣内を婿に迎えるが早々に離婚。
芸能界の女帝に君臨するのであった。。。
さて、やがて迎える「新たな時代」とは?
紀香はどうなるのであろうか。。。
失礼しました(笑)
でも光仁天皇は62歳ですか。
そして血脈が現代の皇室に
引き継がれているのは凄い事です。
世界に誇れますよね。
応援♪
天智系と天武系に分かれた皇統は、しばらくは天武系から天皇が誕生していたのですが、この時点で逆転してしまうんですよね。ひょっとしたらこれも「長屋王のタタリ」かもしれません。
光仁天皇の段階でも、皇統は1200年以上も続いていることになります。まさに「世界に誇る皇室の伝統」ですよね。我が国にとってかけがえのない皇室は、いつまでも続いてほしいと思います。
藤原氏の押した天皇ですから、当然藤原氏が権力を握るわけですね。
ここから!僕の嫌いな平安時代がはじまるのか・・・・
正直平和な時代が覚えるのが難しいです。
もっと合戦とかやってください←
しかし今の天皇が天智天皇の血を引いているとは初耳です。
> 藤原氏の押した天皇ですから、当然藤原氏が権力を握るわけですね。
仰るとおりです。藤原氏の場合は天皇を前面に押し立てたうえで、政治の実権は自分たちが握る、というのが基本的なパターンですね。
ところで「押して」ではなく「推して」ですのでよろしくお願いしますm(_ _)m
> ここから!僕の嫌いな平安時代がはじまるのか・・・・
> 正直平和な時代が覚えるのが難しいです。
> もっと合戦とかやってください←
「平安=平和」だと普通は思いますよね。ところが実際には合戦に負けず劣らずの「ドロドロした」権力争いも見ものなんですよ。そちらの方にご期待下さい(?)。
> しかし今の天皇が天智天皇の血を引いているとは初耳です。
天智天皇はもちろん、神武天皇の血脈までたどり着きますからね。2000年近くも男系ばかりがまるでバトンリレーのように続いているというのは世界史でも奇跡なんですよ。皇室の凄さですよね。