まず元軍といってもその大半が征服した異民族(いみんぞく)の連合軍であり、各人の戦意が乏(とぼ)しいのみならず、意志の疎通(そつう)が十分に行われなかったことでした。また、突貫工事(とっかんこうじ)で高麗に造らせた船は丈夫(じょうぶ)でなく、しばしば転覆(てんぷく)の憂(う)き目にあったほか、弘安の役の際の大暴風雨で多くの軍船が破壊されるとともに数えきれないほどの兵の生命を奪(うば)ったと考えられています。
また、大陸を縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆(か)け回る陸戦と違って、元軍にとっては不慣れな海戦であり、また我が国の風土(ふうど)に合わない兵士が次々と疫病(えきびょう)で倒(たお)れるという不利もありました。
さらに何よりも元軍を悩ませたのは、それまでに他国を征服した際に大いに利用してきた騎馬軍団(きばぐんだん)が、元寇の際には全(まった)くといっていいほど使えなかったことでした。





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ぴーち こんばんは!
なるほど!
こうして相手国の詳細な事情を伺うと
納得させていただく部分が多いですね。
何といっても海戦に慣れていないというのは、致命傷だったのでしょうね。日本は逆に海戦には強いなどと伺ったことがあります。日本にとっては良い条件が揃っての
勝利だったわけですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、戦いの勝因や敗因には様々な背景があります。
今回は物量的な考察ですが、もちろんそれだけではありません。詳しくは次回以降の更新をご覧になってください。
なるほど!
こうして相手国の詳細な事情を伺うと
納得させていただく部分が多いですね。
何といっても海戦に慣れていないというのは、致命傷だったのでしょうね。日本は逆に海戦には強いなどと伺ったことがあります。日本にとっては良い条件が揃っての
勝利だったわけですね!
今回は物量的な考察ですが、もちろんそれだけではありません。詳しくは次回以降の更新をご覧になってください。