わずか数百人の人口しかおらず、かつ武装(ぶそう)もしていなかった両島の人々は突然(とつぜん)現れた元軍兵や高麗兵になすすべもなく蹂躙(じゅうりん)され、ありとあらゆる暴虐(ぼうぎゃく)を受ける運命にありました。
しかし、その中で多勢(たぜい)に無勢(むぜい)を百も承知(しょうち)で敢然(かんぜん)と戦いを挑(いど)んだ対馬の武将もいました。その名を宗助国(そう・すけくに)といいます。助国は元軍の来襲を知るや直ちに博多(はかた)に早船(はやぶね)を送り、急報(きゅうほう)を受けた大宰府(だざいふ)は夜(よ)を徹(てっ)して早馬(はやうま)を鎌倉へと向かわせました。
宗助国ら八十騎(はちじゅっき)の武士たちは、後に続く者を信じて雲霞(うんか)のような元の大軍に斬(き)り込(こ)み、壮絶(そうぜつ)な玉砕(ぎょくさい)を遂(と)げましたが、彼らの戦死を耳にした北条時宗や多くの鎌倉武士は「打倒元軍」を誓(ちか)い、一丸(いちがん)となって闘(たたか)う決意を新たにしました。助国らの気迫(きはく)は決して無駄(むだ)にはならず、その後の我が国を大きく動かしたのです。
なお、宗助国の御霊(みたま)は現在も長崎県対馬市厳原町(いづはらまち)の小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)に祀(まつ)られています。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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青田 黒田先生
青田です。
元寇の役での、歴史での軽く扱われ方に
私は、いつも、激怒(血圧が上がりますが。)
していることに
相手の軍勢数の多さに注目していないことです。
3万人の軍勢というのは、現代の近代戦でも、
かなりの大軍勢です。
たとえば、現代において、3万人の大軍勢が某国から、九州に襲来したとしたら、日本は、大パニックになります。
まして、鎌倉時代の3万人の大軍勢というのは
想像を絶すると思います。
宗助国の八〇騎が玉砕したというのは、現代人から考えられないほどの勇気と愛国心です。
私が、タイムスリップして、その時代に、その3万人の大軍勢を観たら、
フリーズ状態になるか、一目散で、東北まで、逃げてしまうと思います。(あ~臆病者で、少子者の自分が情けないです。)(苦笑)
韓国右翼の主張。
晴雨堂ミカエル 御存知と思いますが、韓国右翼は対馬の領有権を主張しています。
高句麗や渤海があった中国東北地方やロシア沿海州の一部ならまだ論拠らしい論拠が辛うじて無いこともありませんが、対馬は唐突です。宗氏が勢力をはってからも500年1000年単位。
黒田氏は彼ら彼女らの言い分の詳細を御存知ですか?
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
多勢に無勢と分かっていても、後に続く者を信じて玉砕する。
これって、まさに大東亜戦争末期の我が国と同じですよね。
だからこそ軽く扱ってお茶を濁そうという勢力が存在するのでしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 黒田氏は彼ら彼女らの言い分の詳細を御存知ですか?
「晴雨堂ミカエルさん」、ブログの運営を行っている「黒田氏」です。
かの国の主張につきあうだけ時間の無駄と考えている人々もおられるのではないでしょうか。
ぴーち おはようございます!
再三ということは、何度かの打診を断った後と言うことで、完全な奇襲攻撃では無かった訳ですね。
それでも多勢に無勢。
大人数の攻撃には太刀打ち出来ないものの
その中でも果敢に戦いに挑もうとした人物がいたことに誇りを感じるエピソードですね!
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
助国の願いは確実に本土に届き、我が国を救うことになりますからね。
こうしたエピソードこそ多くの人に知っていただきたいものです。
青田です。
元寇の役での、歴史での軽く扱われ方に
私は、いつも、激怒(血圧が上がりますが。)
していることに
相手の軍勢数の多さに注目していないことです。
3万人の軍勢というのは、現代の近代戦でも、
かなりの大軍勢です。
たとえば、現代において、3万人の大軍勢が某国から、九州に襲来したとしたら、日本は、大パニックになります。
まして、鎌倉時代の3万人の大軍勢というのは
想像を絶すると思います。
宗助国の八〇騎が玉砕したというのは、現代人から考えられないほどの勇気と愛国心です。
私が、タイムスリップして、その時代に、その3万人の大軍勢を観たら、
フリーズ状態になるか、一目散で、東北まで、逃げてしまうと思います。(あ~臆病者で、少子者の自分が情けないです。)(苦笑)
高句麗や渤海があった中国東北地方やロシア沿海州の一部ならまだ論拠らしい論拠が辛うじて無いこともありませんが、対馬は唐突です。宗氏が勢力をはってからも500年1000年単位。
黒田氏は彼ら彼女らの言い分の詳細を御存知ですか?
多勢に無勢と分かっていても、後に続く者を信じて玉砕する。
これって、まさに大東亜戦争末期の我が国と同じですよね。
だからこそ軽く扱ってお茶を濁そうという勢力が存在するのでしょう。
「晴雨堂ミカエルさん」、ブログの運営を行っている「黒田氏」です。
かの国の主張につきあうだけ時間の無駄と考えている人々もおられるのではないでしょうか。
再三ということは、何度かの打診を断った後と言うことで、完全な奇襲攻撃では無かった訳ですね。
それでも多勢に無勢。
大人数の攻撃には太刀打ち出来ないものの
その中でも果敢に戦いに挑もうとした人物がいたことに誇りを感じるエピソードですね!
凸
助国の願いは確実に本土に届き、我が国を救うことになりますからね。
こうしたエピソードこそ多くの人に知っていただきたいものです。